AN/ARN-92 LORAN Dを装備したF-4D、F-4Dのうち70機あまりに改造装備されたが 内20機ほどが8th TFWに配備されたと言うことである。LORAN-Dの装備機は、80th TFSと35th TFSに其々均等に配備された。
The Period of F-4D
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第8戦術戦闘航空団は、太平洋戦争後の1948年に日本の芦屋で創設された航空団である。恐らく解体された日本軍の陸海航空部隊に変わり、占領下の日本の治安維持と高まるソ連などの共産圏諸国に対する警戒任務の必要性から、占領地で創設されたものと思われる。しかし、1950年には北朝鮮が南進を始めた事で、朝鮮戦争が勃発して早速駆り出されることになる。当時はP-80と言うT-33の原型となった戦闘機を主力にして、傘下には35、36、80TFSなど現在も朝鮮半島に駐留する飛行隊の他に国連軍に所属する他国の飛行隊も傘下に収めて運用していたようで、1950年には反攻で占領したピョンヤンに部隊を移すなど、米軍の前線部隊として活躍している。朝鮮戦争では敵機18機を撃墜している。朝鮮戦争終了後は10年ほど九州の板付基地に駐留していたが、その間に使用機種をF-86~F-100~F-102~F-105と更新している。

1968年カルフォルニア州のジョージ空軍基地に移動し、そこで当時の最新鋭戦闘機F-4Cファントムに機種転換して、ベトナム戦争に傘下の準備として訓練を重ね、1965年からタイのウボン空軍基地に派遣されている。この時傘下にいた飛行隊が、433d TFS(FG)と497th TFS(FP)の2個飛行隊で、更に555th TFS等4個飛行隊が追加されてF-4C6個飛行隊の陣容となった。彼らの活躍から航空団はベトナムにおける輝かしい成果が生まれ有名になっていくのである。


1966年9月末に航空団司令に第二次大戦のエースでもあったロビン・オルズ大佐が就任した。この頃、航空団はベトナム戦での被害も多く、出撃の度に未帰還機が出て士気が落ちていた。そこでオルズ大佐は、自ら操縦桿を握って空中で指揮を取るとともに、北ベトナム空軍の裏をかいて迎撃してくるMig機を一網打尽とする作戦を立てさせた。こうした率先したリーダーシップと部下を信頼して作戦を任せる度量が、結果として良い戦果に結びつき第8戦術戦闘航空団の名を高めたのである。航空団のニックネームであるウルフパックも彼が名付け親と言われる。
Wings
↑ 1978年11月テェグに3つ目のスコードロンが追加された。スコードロンカラ―赤の497th TFS、これによって8th TFWの司令官機のフィンチップも3色となり、4代目の司令官指定機66-8808にマーキングが施されている。また、この時期インテーク横に"Wolfpac"の黒い狼の頭が書き込まれた。
↑ 胴体に大きく”Nita”と赤い色で大書きされた大変珍しい35th TFSのF-4D 66-7683。この"Nita"とは、当時の第5空軍司令官ギン中将のアニータ夫人の愛称だそうで、実際にギン中将がこの機の操縦桿を握って視察等を行っていたそうである。

1974年タイのウボン王室空軍基地から朝鮮半島のクンサンに移動し、しばらくは”UP”のレターを使用していたが、1975年にウルフパックを示す”WP”に書き換えられた。尾翼チップは、黄と青の二種類で、写真の機体はチップが黄色でダ第80戦術戦闘機中隊(80th TFS)の所属である。

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F-4D/66-8816 of 80TFS