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上イラストのA-7D/70-0988は、自由落下型のMk-82爆弾を片翼に12発 両翼で計24発付けてみた。Mk-82は、小さいと言っても500ポンド(約230㎏)でMk-81の倍はある。 さらに燃料タンクをつけることもできるすごい搭載力の持ち主であるA-、これでマッハ1で飛べるというから パイロットからの信頼は高かった。サイドワインダーは、AIM-9Jがこの頃はよく使われていた。
第354戦術戦闘機航空団が、1972年タイのコラート空軍基地に派遣されたことはページ1でご紹介したが、その頃のベトナムは、ラインバッカーⅡを発動して、海軍も空軍も猫の手を借りたいほど忙しかったはずだ。丁度 撃墜されたパイロットの救出作戦などで地上支援任務に A-1スカイレーダーを使っており、その後継機にF-100を充てていたが、陸軍向けの火力支援も含みA-7Dにその役割を期待していたようである。1973年3月 現地で北爆の主力を担っていた第388戦術戦闘航空団(388th TFW)の第3飛行隊(3rd TFS)に マートルビーチから来た353rd TFSのA-7Dの機材が移管され アメリカ本国外で初めてのA-7D部隊が発足した。この部隊は北爆には出撃していないようだが、1975年までタイ コラート空軍基地を起点に活躍し 基地の閉鎖と共にA-7Dを米国本土の部隊に再配置したとしている。なお 1973年3月からしばらくの間は、米国本国の3つのA-7D航空団からローテーションで派遣が行われたそうだ。
57th FWW または、57th FWSは、1972年から1981年までA-7Dを所有していたとされる。FWWは、Fighter Weapons Wingの略であり ネバダ州ネリス空軍基地の大きな機能を代表する部隊の一つである。文字のごとく 航空機とそれに搭載する兵器とのあらゆる関連項目を実地試験で評価し 実機を通した研究などをしながら、おそらく兵器の戦術的な運用方法、取扱いについて マニュアルの基礎となる資料もここの部隊が作成の一翼を担っていたはずである。当然のことながら 空軍が採用した新攻撃機A-7Dについても 搭載兵器の種類が多いこともあり この部隊での評価が、実戦運用に反映されていたと考えられる。57th FWWのA-7Dは、部隊シンボルである黒黄のチェッカーが彼らの尾翼を飾っていた。
↑ご覧いただいているA-7Dは、空軍型の特徴である背中の給油口がない。おそらく57th FWWが初期に導入したD型は、海軍機からの改造が間に合わなかったものと推測する。給油は、機首右側にある給油プローブを出して、ドローグの付いたホースから受ける。翼下は、当時搭載テストされたマーべリックの試験弾