4機、続いて2機と従来の機体下面を白く塗ったA-7Dが下りた後、訓練を終えて戻ってきたのが、機体下面まで迷彩塗装した当時としては、最新のマーキングであるA-7D、我々にとっては珍しい存在で新鮮な印象を受けたが、数年も経たぬ内に全てこの手のマーキングに変更された。
ルークAFBを後にした我々は、アリゾナ州をさらに南に向かって進みA-10Aが配備されたばかりのデービスモンサン空軍基地を目指した。2月と言うのに、焼き付けるような太陽が砂漠を灼熱の世界に換えている。延々と砂漠を走り続け ようやく辿り着いたアリゾナ州のツーソン。町に入るとそこは、観光客がいっぱい。ホテル隣接のプールは、北からやってきて、このツーソンを避寒地として生活を楽しむ人々の水着姿で溢れていた。長いドライブを終え、ツーソンに到着した我々はまず腹ごしらえである。手軽なファーストフードでとりあえず腹を満たしてから、未知の世界であるこの町と目指す基地のポジションを掌握しないといけない。7-11で地図を手に入れて行動する予定が、「地図は置いてません・・・」との事から 空港の位置を聞いて取敢えずツーソン空港付近を目指す事にした。ウェストバレンシアロードと言う空港に近い道路を行ったり来たりしている内に、上空を4機の迷彩A-7Dが編隊で通過した。飛行高度から見てどうも着陸前のオーバーヘッドパスのようだったので、直ぐにカメラを用意して着陸を撮ることにした。確か日曜日であったはずだが、彼らANGは、土日に仕事をするのである。故にウェークエンド・ファイターと呼ばれていた。ビルとビルの間の空でA-7Dの着陸を撮影して ターミナルビルへ向かうことにした。(2004/6 記)
152th TFTS所属のA-7D、塗装2例でオーバーラルカモフラージュ以降の色違いである。迷彩のパターンはほぼ同一ながら、タンの部分が薄いものと赤みが強い茶系色を使ったものが写真として記録されている。装着したミサイルは、AIM-7J。1978年頃から海軍と共用のAIM-7Lも使えるようになった。
1969年会計年度の古い機体であるが、マートルビーチAFBに配属されたのち、152th TFTSに移動してきた機体。
A-7Dの生産最終機(75-0409)の一つ手前75-0408号機、両機ともに152th TFTSに所属していた。
1970会計年度には注されたA-7Dは120機を超えており、主にマートルビーチAAFB、デービスモンサンAFBの2大A-7D航空団に配備するために大量生産されたものである。これら航空団が、A-10Aに機種交換が始まると余剰のA-7DはANGに広く移管されることになる。この-7DもマートルビーチAFBからやってきた。
一通り着陸の撮影を得た我々は、着陸する機体が途切れた時間にターミナルへ移動してみる事にした。ツーソン空港ではターミナルからタキシングする機体がしっかり撮れる場所があり、ここでも数機を撮影してデービスモンサンAFBを探すことにした。
1971年度発注のA-7Dは、当初TACに配属され 後にANGに回された。この機体(71-0344)もお隣デービス・モンサンの部隊からの移管である。
D型発注の最終年度であった1975年会計年度で造られたA-7D 25機の内、15機が152th TFTSにあてがわれた為、75-0386〜75-0396の続き番号は、すべてツーソンに存在した。