私は、A-7がA-4と共に最も好きな飛行機の1つなのだが、日本では海軍のA-7は見れても、米空軍のA-7Dが飛来することはきわめて珍しいことで、当然のように私には撮影のチャンスは訪れなかった。1978年のチームスピリッツにイングランド空軍基地から23rd
TFWのA-7Dが韓国に飛来した際、嘉手納に飛来することを期待して出かけてみたが、姿を見ることさえ出来なかった。
ベトナム迷彩を身に纏ったA-7Dは、海軍のものとはまた違った魅力があったのだ。米空軍は海軍用にチャンスボート社がA-7Aを開発当初から、戦闘爆撃機の後継機としてA-7に着目し、海軍とほぼ同時期にA-7の採用を決めている。海軍のA型とは異なったロールスロイス社スペイエンジンを採用、初めてヘッドアップディスプレイを取り付け、M61A1バルカン砲を装備するなど戦闘攻撃機として大いに期待されたものだった。(このTF-41-A-1《ライセンス生産名》エンジンは、後に海軍のE型にも採用が決まった。)
空軍が戦術攻撃機として500機近く配備したA-7Dは、その次の主力攻撃機となったA-10Aが開発 配備がされるまで戦術空軍TACの第一線で活躍したが、マートルビーチAFB、そして次のディ-ビス・モンサンAFB、最後のイングランドAFBの第23戦術戦闘航空団にA-10が行き渡るようになった頃には、余剰となった機体が次々に州航空隊にF-100等の後継機として配備が始まっていたのである。
私と空軍A-7Dの最初の出会いはアリゾナのルーク空軍基地だった。金曜日までF-104、F-4D、F-15A/Bがひっきりなしに訓練していたこの基地、2日間の滞在を予定していた我々は翌日土曜日も撮影を期待して出かけたが 朝からシーンとして何も飛ばない、まったく日曜日の航空自衛隊の基地のようであった。この基地では、教官も訓練生たちも、しっかりと週末の休みを取っていたようなので我々も引き上げることとした。帰り支度をいている時に、着陸態勢に入った黒いシルエットが見えた・・・昨日の面々ではない、見慣れないシルエットと思っていたら A-7コルセアではないか。逆光の中、迷彩のA-7Dを撮影はしたものの、その場ではどこの部隊かも判明せず、帰国後現像して初めて下に紹介する部隊のものと分ったのである。(2002/3 記)
ニューメキシコ州空軍のA-7D、この部隊は カートランドAFBをベースにしていた。カートランド空軍基地は民間のアルバカーキ国際空港に隣接した基地であるが、ランウェイなど設備は、空軍の所有だそうで共有の形で運用されている。A-7の尾翼には道走り鳥が書かれていた。この部隊は、後にF-16に機種交換された。
188TFS 150TFG
click here