ガンシップと言う構想は、元々第二次大戦の頃から存在し、B-24等の大型機に大量の機関砲を積んで、編隊の警護をするなど歴史は長い。大型輸送機や大型ヘリにガトリング砲を積んで、地上攻撃をすると言う考えはベトナム戦から本格化した。昼夜に渡り北ベトナムからホーチミンルートを使って南ベトナム解放戦線(ベトコン)に送られてくる武器や物資は、反政府勢力の力を増大させ、南ベトナム政府やそれを支援する米軍の脅威となっていた。ホーチミンルートは、激しくなる米軍機の攻撃を避けるため、夜間を中心にジャングルを巧みに偽装して行われていた。せっかく敵を発見しても一般航空機による攻撃行動は折り返しの反復攻撃になり、せっかく発見した目標に直ぐ逃られてしまう。そこで、大型機に大量の機関砲を積んで、敵を発見した場合、目標物に円を描きながら飛行し、不断の攻撃をかける方法が効率的とされ、「ガンショップ・プロジェクトⅡ」計画に基づいてロッキード社が開発した対地専用攻撃機である。当初のAC-130Aは、M134(.62mm)×4門
M-61(20mm)×4門の計8門のガトリング銃/砲を装備した鉄の雨を降らせる攻撃機だった。任務が夜間中心となる為、AC-130Aは側面から下面にかけて真っ黒に塗装された。
前ページで書いた通り、地上に対しアウトレンジを取る為に、武装は次第に大口径になっていく。1972年AC-130E”ペイブ・イージス”から105mm砲が搭載され、H型も基本的にE型と同じ武装構成である。
↓ 松野氏が1988年11月 横田基地で撮影されたAC-130H / 69-6570の離陸シーン。
この機体AC-130H/69-6570 は、C-130EからAC-130Eに改造され、1973年にAC-130Hに再改造されて、16th SOSに配属された。(松野氏)