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アメリカ空軍の大幅な組織改編が終了した時点でのB-1Bの再配備先


第7航空団 7th WG → 第7爆撃航空団 7th BW (1997改編)
 ダイエス空軍基地(Dyess AFB)
 第9爆撃機中隊 (9th BS)
 第28爆撃機中隊 (28th BS)
 第337爆撃機中隊 (337th BS) 1994年解散
 第13爆撃機中隊 (13th BS) 2005年解散
 第345爆撃中隊(345th BS) Reserve Squadron 2015~(Associate )

第28爆撃航空団 28th BW  エルスワース空軍基地(Ellsworth AFB)
 第77爆撃機中隊 (77th BS) 2002年解散
 第34爆撃機中隊 (34th BS)
 第37爆撃機中隊 (37th BS)

第366航空団 366th WG  唯一元戦闘航空団(TAC)の組織に組み込まれ、F-15EC/EやF-16Cと運用された。マウンテンホームAFBで2002まで運用
 第34爆撃機中隊 (34th BS) 2002年解散

第184爆撃航空団 184th BW  カンサス州空軍の機材として運用される。
 第127爆撃機中隊 2002年解散 KC-135Rへ機種交換

第116爆撃航空団 116th BW ジョージア州空軍の機材としてF-15Aの後継として運用される。
 第126爆撃機中隊 2002年解散 E-8Cに機種交換



1992年にアメリカ空軍は大幅な組織改編を行い、それまで核報復の3大柱(大陸間弾道弾/潜水艦発射型弾道ミサイル/戦略爆撃機)の一つであった戦略航空軍団(SAC)の戦略爆撃機部門から核攻撃能力を外し、B-52G/HやB-1B等の爆撃機機部隊やそれを支援するSACの給油機部門を全て戦闘航空軍団や輸送航空軍団に移管した。
 この大きな改革により、B-1B爆撃機も戦闘航空軍団(ACC)や州空軍(ANG)にまで幅広く配置換えが、行われて行く事になる。ウィークエンド・ファイターとも呼ばれてきた州空軍にまで最新鋭のB-1B爆撃機が配備された事に驚きを隠せなかったが、小王空ファンにとっては、B-1Bがより身近に感じられる存在になったのは確かだった。また ACCの傘下に入ることで。尾翼に部隊識別用のテールコードが書かれるようになって、見分けが付き易くなったのも、航空ファンとしては嬉しい事である。
Insignia of ACC
↑ 大塚譲氏が1997年イギリスで開催されたエア・タトゥ―で撮影されたカンサス州空軍所属のB-1B 司令官指定機/85-0064。1980年代まで戦略爆撃機だったB-1BやB-52が州空軍で運用されるなど想像もできなかったが、ソ連崩壊の冷戦終了後、軍の組織や運用も大きく変化して行く。アイダホ州マウンテンホーム空軍基地の大規模航空団であった第366航空団などは、戦闘機航空団にB-1Bも配備察れていたのだ。
↑ 1993年4月渡辺明氏がアリゾナ州デービス・モンサン空軍基地の航空祭で撮影されたダイエス空軍基地第96爆撃航空団所属のB-1B/85-0082
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↑ オランダの友人オルス氏が1994年 フェアフォードで撮影したB-1B/86-0132。ノーズアートは(Noseart)は、猫が爆弾を抱える”OH HARDROCK”である。
↑ 大塚譲氏がイギリスのエアタトゥーで撮影された会場に着陸する所属不明ノーマークのB-1B/85-0061
↑ 1997年7月 渡辺明氏がオハイオ州デイトン空軍基地の航空ショーで撮影された第7爆撃航空団第28爆撃機中隊のB-1B/83-0066。同飛行隊はSACからACCに移管された際、第96爆撃航空団から第7爆撃航空団に同じダイエス空軍基地内で入れ替わっている。つまり、ダイエス空軍基地の爆撃航空団は、今でもB-1Bを運用しているが、機体と人員は第7爆撃航空団に入れ替わっていた訳である。
Wings
↑ オランダの友人 オルス氏から送って頂いた第7爆撃航空団の司令官指定機となっていたB-1B/83-0065。スライドのマウントには撮影期日や撮影場所の記載がなかったが、ノーズアートの絵柄とシリアルから、恐らく2002年にエア.タトゥーでの撮影と思われる。2020年10月にこの部隊のB-1B/85-0089がほぼ同じマーキングで三沢基地に飛来している。