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↑ 1999年10月オシアナ海軍航空基地に展示された第7爆撃航空団第28爆撃機中隊のB-1B。尾翼の青と白のチップラインは28th BSのもの。
Insignia of 7th BW
1999年10月展示ののB-1B/86-0137のコックピット周辺。尾翼に白黒のチェックが入っているのが第28爆撃中隊の所属機で,これまたB-52Hの予備航空団93th
BWのインシグニアにとてもよく似たアメリカインディアンを採用している。このB-1の写真でお分かりのように 胴体が非常に長いが この胴体の前方の2つ 後方に1つの爆弾倉を持っており 通常爆弾であるMk-82だと1つの爆弾層に28発 合計84発を収納できる。JDAMのような比較的大きい爆弾でも合計24発が収納可能で 24発もの爆弾がピンポイントで命中する現代の科学技術では、B-1B一機でB-29数十機に相当する戦術爆撃効果があるだろう。ただ 爆撃には戦略的効果も加味しなければならないので,やはりある程度の機数をそろえる必要があるのが爆撃機部隊でも言える。
何故か私はこのB-1Bを2枚しか撮っていなかった・・・
クルーは、B-1BがACCに移管された後 任務を引き継いだ7th BWの所属である。
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↑ 私が初めてオシアナ海軍航空基地の航空ショーへ参加したのが、1998年10月。土日で開催されるショーの前日夜だけ一般公開が行われ、ナイトショーの合間に飛来したのが、初めて見るB-1Bだった。しかも 州空軍で運用されている珍しい機体だった。
B-1Bが戦略航空軍団(SAC)の手を離れ、戦闘航空軍団(ACC)に移管された頃、第96爆撃航空団から引き継いで,ダイエス空軍基地でB-1Bを運用を開始したのが第7爆撃航空団である。右の7th
BWのインシグニアを見て思い出した。この部隊B-52G運用時代に1991年の 厚木基地の航空祭に参加している。そう!厚木のオープンハウスの時に来た懐かしいB-52Gの部隊である。当時,テキサス州のカッズウェル空軍基地にいた部隊で,1958年以降B-52を運用してきた航空団であった。
第7爆撃航空団は、歴史が長く元々は,アメリカ陸軍航空隊の一つとして第1次大戦中にフランスで設立された、大戦後国内の基地を転々と移動したが 1946年にB-29を配備した(空軍として)最初の戦略空軍航空団となった。その後B-36,B-52を使用していたが,カッズウェルの閉鎖に伴い一時ペーパーウィングとなった。1993年10月に ダイエスでB-1Bを引き継いで 再び実戦航空団としてよみがえっている。モットーは、”上空からの死!”ラテン語で「MORS
AB ALTO」(Death from Avove))なのだ。
エンジン空気取り入れ口にシャークマウスが書かれている。→
↑カンサス州空軍に配属されていたB-1B/85-0064。B-1Bは、戦略空軍の代表格としてSACの基地に配備されていたが 冷戦後の空軍再編成でSAC/TACなどが大きく組織を変えた際、ACCだけでなく州空軍ANGにも配備された。1つはジョージア州ロビンス空軍基地(Robins
AFB)の128th BS、もう1つが上の写真のカンサス州マッコウネル空軍基地(McConnell AFB)の127th BSである。現在は再び爆撃機の統合運用によりACC傘下の部隊に統合され消滅したが ANGに新鋭爆撃機配備とは 一昔では考えられない構想であった。これもB-1Bによる通常爆撃(戦術爆撃)を重視した結果であろう。
(1999)
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