↑ B-1Bの最大の機体特徴である可変翼の収納部分。この構造が複雑であるゆえに、一般的に可変翼機の寿命は一応に短い。可変翼構造が複雑で部品点数も多くメンテも大変であるから、アメリカ海軍のF-14Aトムキャットも同様であったが、稼働率を維持するのに経費が掛かり過ぎるのである。一時はソ連も含め可変翼が主流になった時代もあったが、今や可変翼機は希少生物並みに数が減ってきてしまった。しかし 翼を広げた時の機体の安定性は強く、時速270㎞という低速でも安定して飛行が出来る旅客機並みの低速時安定性能を誇る。因みに翼を広げた状態でのB-1Bの全幅は41.7mと畳んだ時(23.8m)の倍近くになる。
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(2000)
↑ 2000年10月 オシアナ海軍航空基地に飛来して展示されたダイエス空軍基地第7爆撃航空団のB-1B/86-0110。興味があったので、私がパイロットにテキサス州ダイエスからバージニアのこの基地まで何時間掛けてきたのか聞いた所、確か4時間で来たという事だった。
ダイエス空軍基地(Dyess AFB)にB-1Bが最初に配備されたのは1985年6月29日、生産予定数はたった100機で、744機の作られたB-52に比べ圧倒的に少ない数に思えたが、一旦はキャンセルされた航空機だったこともあり、当時SAC期待の戦略爆撃機として漸く戦力になってきたことは空軍関係者からも喜ばれた事だろう。アメリカ空軍はこの新鋭爆撃機を第2次世界大戦に於いてB-17F/Gで活躍した第96爆撃グループの血を継ぐ96th
BWにこの新鋭機を配備した。当時のレーガン大統領はB-1B復活の際、この爆撃機に多数のクルージングミサイルを搭載させて運用する方向で予算を承認させたので、当初の敵地に対する直接低空侵入して核爆撃という概念はなくなっていた。以前と比べ 当時ソ連の防空網も整備が進み、B-1Bをもってしても直接の進入爆撃は成功率が低すぎると言うのが定説になっていたからである。
↑ 尾翼にはダイエス空軍基地(Dyess AFB)を示す”DY”のテールコードと第9爆撃機中隊(飛行隊)の示す蝙蝠の掛かれたブラックラインがある。B-1B/86-0110は、B-1Bの量産70号機にあたりブロック5のB-1B最終型である。
Insignia of 9th BS
↑ 同じく2000年の8月にネバタ州ネリス空軍基地で撮影された第7爆撃航空団第9爆撃機中隊のB-1B/86-0103。冒頭写真のB-1B/86-0110と同じく量産のブロック5になる機体で、量産63号機に当たる。
↑ B-1Bの兵装庫、胴体下に3つの兵装庫(爆弾装)があり、通常兵器であれば34トンも積めるのである。通常爆弾であるMk-82 500ポンド爆弾(約220kg)なら84発を詰め込めるが、これは新たに開発されたB-1B用の回転式ランチャーのお蔭である。写真では3000ガロンの補助燃料タンクが第一爆弾装に収納されているのが判る。
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↑ B-1Bの推力を支えるF-101-GE-102はB-1爆撃機の為に開発されたエンジンで、アフタバーナーを使用すれば1基で13.8トンの推力を持つ。これを4基も付けているので戦闘機並みのスピードで飛べるわけだ。当初マッハ2.2を誇ったB-1AからB-1Bとして復活した際は、コスト削減のための構造を簡素化したのでマッハ1.2程度のスピードに墜ちたが、当初考えていたソ連領内に核爆弾を積んで低空高速進入するやり方を放棄して、巡航ミサイル母機として運用される事になった為、スピードはそれほど重要ではなくなった。