F-105's Page
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149th TFS Virginia ANG
↑ でも最初は、全てを得ようと2本のランウェイの真ん中付近で構え、走り廻るだから、右往左往の挙句、お腹・・・逆光・・ピント外しの繰り返し・・
F-105D (1971~1982)
The Personal Marking on F-105D (62-4344) by U.S.Net 
別項でも記載したが、海外に度々遠征をしていた厚木の諸先輩方もネリスの情報を持っていなかったし、聞いてみても「ネリスは砂漠の中にあった外から撮れないと思うよ・・」との事だったので、訪問予定にも当然入れていなかった。しかし、突然目の前に広がった上写真の情景を見て、航空機マニアなら”此処は絶対に撮れる”との確信が持てるはずだ。現在は立入規制が厳しくなって、写真左手の敷地への立ち入りはできないのであるが、1980年当時は南寄りの風が吹けば素晴らしい条件で撮影が可能であった。しかし、ルークでは存在した地元アメリカの航空マニアもここネリスでは一人も出逢わなかったし、オランダやイギリスのマニアもエプロンでの写真は撮っているものの、柵の外から撮った写真は無かったので、当時のネリス空軍基地での外撮り等は殆ど行う人がいなかったのだろう。友人のゴメス氏は翌年の1981年から数回に渡り、多くの友人を連れて、此処でのレッドフラッグ・グリーンフラッグ演習などの外撮りを敢行しているので、外でも充分撮影が可能である事が、日本のマニア諸氏にも次第に伝搬して行ったのではないかと想像するのである。

我々は、1980年3月此処ネリス空軍基地で丁度レッドフラッグに参加している別のF-105Dの部隊を発見、その前の訪問地ヒル空軍基地で余り撮れずに、多少不完全燃焼であったサンダーチーフへの思いを払拭して、此処でしっかりとリベンジを図ろうと考えたが・・・・・。
↑F-105D/62-4344には、煙の中から火を噴くガトリング砲”BATTLIN' GATLIN'”が書かれていた。バーナード・バイリー軍曹(T.Sgt.Bernard.W "Bettle" Bailey)の手によるもの。→
ところが、此処での航空機の撮影は容易いものではなかった・・・今の時代と違い、持っているのは200mm単焦点レンズのみ、ゴメス氏も、300mm1本での撮影。当時はエアバンドラジオの持ち込みなど考えられなかったので、降りて来る機が2本のランウェイのどちらを使うかが勝負の分かれ目。殆どオーバーヘッドで降りて来る彼らが、管制塔から右左のランウェイに振り分けられ、ギリギリにならないと判らないケースの多い。モータードライブも持ち合わせてないので、フィルムも残り少なく1機のランディング1枚撮影が我々の原則で、これもワンチャンスの勝負・・・この時代、露出もピントも手動なので、焦ってピントを外せば、それで終わりである。自分の腕が悪い事を色々と言い訳したが、厚木の降りや横田のタキシングを撮るのとは、また違う難しさを体験することになる。順光で全てを撮りたいと思っても、所詮無理な事で、ある程度的を絞ってターゲットを選択しなければ、レッドフラッグ演習中は撮影を熟すことはできない。
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F-105D / 59-1739
本項でご紹介するのは、我々が、1980年のツアーでAFRES(HI & TH)の次に出会った飛行隊である。本来、TAC→ANG→AFRES→USAFEの順でご紹介したいが、我々が遭遇したF-105は時系列的に全く真逆の順であったので、成り行きからご勘弁頂ききたい。
F-5のページでも記述したが、ソルトレークシティからルート15を南南西に降りてラスベガスに入る途中に地図上ではネリス空軍基地の記載があった。但し、ネリス空軍基地に隣接する道路はルート15とほぼ並行に南に走る604号線である。その時、何故604号を使ったかは記憶にないが、我々とネリス空軍基地の出会いは、このルートを選んだことに始まり、この道から見えたネリス空軍基地のランウェイがこの後のスケジュールを全て覆す発端であった。
↑ 広い砂漠の敷地に車を乗り入れれば、今離陸したばかりのF-15Aと地上では離陸の為にタキシーバックする149th TFSのF-105Dが・・・・背景にはラスベガスの街並みも見えるし、ワクワクして何ともも愉快な場所であった。
あぁ~・・・あの頃 今持っている最新のデジタル機材が有れば・・・と思うのは、古き良き時代を知るマニアの共通の思いかもしれない。でも、それはかなわぬ夢である。
F-105D / 62-4344
New Insignia of 192d TFW