HOME
NEXT
click here
F-105F/62-4418
↑ 上2枚の写真は、何れも1978年5月にマッコーネル空軍基地で撮影されたF-105D/Fである。F-105D/62-4387の胴体下に付いているのは、爆撃訓練用のディスペンサー。
F-105's Page
↑ 上3枚の写真は、何れも1979年4月に撮影されたもので、この年に同飛行隊はF-4D ファントム戦闘機への更新を始めた。そんな最後の年に漸く赤いラインに”Kansas”の文字が入るのである。
Page-12
↑ 1976年5月 マッコーネル空軍基地に翼を休めるF-105F/62-4418とF-105Dの列線。同空軍基地は、カンザス州ウィチタ市にあり、この周辺はボーイング社が大戦中にB-29爆撃機を生産した場所でもある。2本の3600m級平行滑走路をもち、1963年にここで第388戦術戦闘航空団がF-105Dの4個飛行隊を稼働させたのに引き続き、ジョージ空軍基地から第355戦術戦闘航空団の4個F-105D飛行隊が移動してきて、直ぐにベトナムに派遣されるなど、F-105の巣とも言える航空基地であった。
F-105D/62-4418 / 62-4361 / 63-8325
127th TFTS  Kansas ANG
↑ 1977年6月に撮影されたマッコーネル空軍基地に於けるF-105Dの列線。このF-105D/62-4291は、ワイルドウィーズル用のATI社AN/APR-25レーダー電波警戒装置を最初に付けてテストベットになった機体だそうである。ベトナム戦でSAM-2 ガイドラインミサイルの脅威に晒された米空軍は、これらに対応する為、レーダーサイト及びミサイル陣地にどれだけ近づいているのか、パイロットが判断できる警報装置と対空ミサイルサイトを攻撃できる対レーダーミサイルの開発を急いでいた。
F-105D/F (1971~1979)
カンザス州空軍の第127戦術戦闘訓練中隊は、F-100C スーパーセイバーを使用していた時代は戦術戦闘機部隊であったが、訓練部隊としての役割も一部担っていたらしく、1971年にF-105D/Fに転換した後は、部隊名に正式に「訓練」の文字が加わり、F-105のパイロット養成の為の転換教育を主任務で活動した。右のインシグニアは、F-4Dファントム時代のものを参考に作成してみたものだが、F-105時代も恐らくTrainingの”T”を加えた同一のものであったはずだ。127st TFTSは、約10年間F-105D/Fを使って、ファントムのD型に機種更新している。F-105時代は、訓練部隊であった故に海外派兵の無く、日本の航空マニアにとっても遠い存在だったが、F-100配備時代の1968年に北朝鮮沖で発生したプエブロ号拿捕事件の際には、朝鮮半島のクンサン空軍基地まで同隊のFスーパーセイバーが派遣されている。
↑ 最後の写真も1979年4月に撮影されたものであるが、胴体下の爆弾層から吊り下げられているのは、詳しい事は分からないが核爆弾の模擬弾かもしれない興味深い写真である。本機F-105D/62-4347は、ベトナム戦争時は334th TFS(Tailletter =RK)に所属して、タイのタクリ空軍基地をベースに北爆を実施していた。
F-105D/62-4347
F-105D/61-0073
F-105D/61-0107
F-105D/62-4387
F-105D/62-4291
↑ 1975年5月 オファット空軍基地で撮影された127th TFTS F-105D/62-4361。パイロットネームタグは赤く、左側面コックピット下には、上部組織の184th TFG "Jayhawk"のインシグニアが書かれている。胴体中央ラックには先端を赤で塗られたパッケージポッドにも文字が書かれている。