↑ 1995年9月にアメリカ本国で撮影されたF-15E/87-0189。
長い間,全く手をつけていなかったF-15Eストライク・イーグルのページ・・・昨年は、横田にも展示されるなど 身近になって来たので、これを機にページを立ち上げて行く事とした。最近米空軍ではF-15C/Dも数を減らし、F-22は180機余りと機数が少なく、主力となる予定のF-35の時代までもう少しかかりそうである。F-15系列では、これからしばらくはE型が主流になって、これらの穴を埋めていく重要なポジションになって行きそうである。
何せF-35Aがアメリカ空軍の主力になると、その搭載量の少なさから、打撃力が相対的に低下する懸念がある。F-111の攻撃力を継承する形で配備されたF-15Eは、もしかすればF-35の全盛時代に唯一打撃力のある戦闘爆撃機として重宝されることになりそうだ。これまで撮影できたもの、友人から送ってもらった写真から適宜UPしていきましょう。(2013/4/8 記)
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第二次大戦後の1957年にスイモアジョンソン基地で創設された戦闘機中隊で、最初の使用機はF-100スーパーセイバー。ベトナム戦時代にF-105サンダーチーフに更新し、タイのタクリ空軍基地をベースに活動するが、当時は”RK”のテールレターを付けていたようである。この部隊に限らず、ベトナム戦におけるF-105の損耗が激しかった事もあり、F-105を手放して1971年にA-7Dに更新し、デービスモンサン基地に配備される。A-7Dを7年間使い、A-10Aに更新されて後 18年間に渡りA-10を運用した。1994年から現在のF-15Eに更新しスイモアジョンソン基地に配備されている。
2000年10月 オシアナに展示されたスイモア・ジョンソン空軍基地、第4航空団第333戦闘機中隊のF-15E/87-0175/90-0228。現在 唯一F-15E 4個飛行隊を要するストライクイーグルのビックスコードロンである。
F-4Eのページでもご紹介した第4戦闘航空団は、2014年現在アメリカ空軍の中で最も強力な航空団と言えるかもしれない。F-15Eを持つ航空団は、せいぜい1〜2個飛行隊しか傘下に置いていなかったが、この航空団は、F-15E戦闘爆撃機 4個飛行隊も運用しているからである。1990年の湾岸戦争時もその実力を買われ真っ先に派遣されている。つまりは、アメリカ空軍が重要視する対地攻撃が得意な戦闘機として、LANTIRNをぶら下げて昼も夜も対地攻撃できる所が買われた訳である。湾岸戦争では2200ソティをこなし 2機被撃墜(パイロッ4名トはいずれも戦死)となった(その他 事故墜落が1機)。F-15ABCDの被撃墜が未だ”0更新”に比べ、対地攻撃を任務とした場合リスクの度合が違いすぎるから単純比較はできない。私の記憶では、少なくとも1機は味方のペトリオットの誤射が原因だったと記憶している。F-22もF-35も対地攻撃にむかないので(搭載量が少なく 地上攻撃の実力が不足)、当面は、F-15Eの寿命を考えても引退するのはかなり先の話となろう。
な、なんだ!!これは。 What is this!!
”STRIKE EAGLE” Peanuts という商品名をつけたそのココロは???
米国のスーパーマーケットで見つけたこのピーナッツ、即買ってしまったが…「何の意味があって こんなネーミングにしたのかぁ〜?まあ 変わってるので買ってみるか」と衝動買いした私のような”カモ”を狙っての商品戦略?カモ知れない....
↑ 2002年オシアナに再び展示されたF-15E/87-0175。この機体は、私の悪友がエプロンをタキシング中(歩行中)に接触事故を起こした機体である。当然 F-15Eは、展示の為停止していたから ぶつかった責任割合は、100対0で 友人に分が無い。かわいそうにも頭に傷を負った友人は、すぐに救護室に手当てに行き 可愛い看護婦さんから治療を受けて かえってご機嫌であった。奥さんには内緒にしておいてあげるよ・・・
スイモア・ジョンソンという名は、1941年に飛行事故で亡くなった海軍のテストパイロットの名にちなんでいる。
4th FWを支える4個の戦闘飛行隊、続き番号であるが、このうち334th FS、335th FS、336th FSの3つは、1950年から半世紀以上トリオを組んでおり、1994年以降 333d
TFSが加わってカルテッドとなった。スコードロン・カラーは、それぞれインシグニアに表記した色である。
Blue
Green
Yellow
Red