2017年6月4日 横田基地から離陸するF-16C ”HL-072” この時点はこの機体 オーサンの51st FWの所属であったが ヒルAFBから移動して間もない為かマーキングは、完璧な388th FW/4th FSのものである。この時確認されたOS-432(88-0432)もヒルから移動したばかりの機体であった。この時かくノンされた
Squadron of 388TFW
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F-16's Page

388th TFW Page-2

Insignia of 4th TFS
Insignia of 16th TFS
Insignia of 34th TFS
388th TFWで先ず思い出すのは、”JJ””JV"のテールレターを付けベトナム上空で暴れまくったF-4Eである。機首下面の20mmバルカン砲塔を付け機種が長くなったF-4Eにはこの鮫口がとてもマッチングした(初期のF-4Eは消炎器なし)。ベトナム戦でのF-4Eの実機を見た事は無いが、映像や写真を通して知り得た私の世代では、シャークティースを描いたF-4EファントムⅡの姿は、脳裏について離れないほど魅力的な存在であり、それは一部の米空軍関係者にとっても同じだったのかもしれない。後に51st CWや3rd TFWで復活したシャーク・ティースは、正にベトナム戦で活躍した388th TFW所属のシャークティースファントムの郷愁であるようにも思えた。388th TFWは、当初F-105を装備しベトナム戦に投入されたが、後にF-4Eの供給を受け北ベトナムおよびラオスを中心に激しい戦闘を経験した部隊である。ベトナム戦後は、再び旧型のF-4Dに戻され HILLを根拠地とすることになるが、F-16Aが配備された際の3飛行隊の中で 34th TFS「ラムズ」は、まさに”JJ"のレターを付けたF-4時代から388th TFWの傘下にあった古参部隊である。

4th TFSは、F-86F-102を装備して、過去日本の三沢基地に駐留していたことがある飛行隊で、「風神」の部隊マークはこの時からの由来でらしい。ベトナム戦では1969年からダナンでLAのレターをつけたF-4Eは、記憶にある。16TFTS(青ライン)は、元々F-102を装備して那覇にいた部隊であったが解体されていた。HILL AFBにおいてF-16での復活である。
F-16Aの機首には、小型ながら当時最新のレーダーシステムが装備され、制空だけでなく火器管制も有効なもので左右に最大60℃の首振りが可能な為、捜索域が広い。また一人で簡単に操作ができるようにスウィッチとノブは其々一個でセットいていれば操縦桿を持ちながらでも容易に操作できるようになっていた。
ヒル空軍基地に着陸するF-16A。翼下には370galの増装タンクを2本付けているが、これにより機体の燃料タンク(1072gal)の約70%を増量することが可能である。ジェットインテークのインシグニア(中隊徽)は顔のように見えるが、34th TFS"Rams"の羊である。よく見るとインテークにSQのインシグニアが入っている。いまでは、SQインシグニアを左側面に書き込むのは常識となっているが、当時は非常に珍しかった。HillのF-16の中にも書き込まれた機体は、僅かだったように記憶する。
訓練の為に爆装しているF-16Aの列線 チェッカーテールは、4thTFSのはずであるが、当時は、Det・Mote(Multirole Operation and Evaluation)という特殊な任務を帯びた分遣隊をネリスに6機派遣してレッドフラッグ演習に派遣していたそうである。
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