どんよりと曇った空・・・昨日は綺麗に見えたワサッチ山脈もすっかり雲に隠れていた。エプロンに着くと流石に演習中とあって なんだか凄い緊張感がある。エスコートのおじさんは、我々をF-16列線の1つに連れて行き 「ここも線さえ出なければ自由に撮っていいよ」とのたまった。但し広いエプロンの一角である。少し不満はあったものの出来るだけ撮って帰ろう!!と撮影を始めて気がついた。カナダ防空軍、ネリスのF-5E、それにNANYからプラウラーまで参加してエプロンは一杯である。また 別に目をやると 「HL」のレターを落としたばかりのF-4Dやイスラエル空軍の塗装をしたF-16Bなどが置いてあり中々興味深い。隣の列線ではF-16Aが爆装していた。我々は、エスコートのおじさんを気遣って早々に退散することにしたが、「外から撮っていいよ」との許可を貰い午後は基地の外から撮影して、翌日オグデンを後にした。ここオグデンのホテルに私が初めて買った400mmレンズを置き忘れてきたのである。F-16と400mmレンズの因縁もここで終了となった。
1979年の秋だっただろうか、友人からの電話で「申請したら思いも寄らず許可がもらえちゃった!・・・」と。アメリカ空軍の基地に入れて貰えるならと行く事に決めるしかないが、最初は全然興味がなかったF-16のマザーベース ユタ州のヒル空軍基地(Hill AFB)である。「これから じゃかじゃか撮れる飛行機より無くなって行く飛行機のほうが貴重だ!」なんて言っても、いざF-16をこの目で見れるとなると興奮である。
1980年3月、許可を貰っていた日の前日に現地到着した我々は、オグデンに宿を撮り事前偵察の為、ヒル空軍基地の飛行場を見に行った。この日飛行機が着陸していた側のランウェイエンドは、大きな崖が目の前に塞がり、どうもこれを登らないと撮れそうも無い・・考えた挙げ句渋る友人を説得して登る事にした。崖を這い上がるようにして登りフェンス前にたどり着いた我々・・眺めはえ〜ぞ!!と言ってる内にF-105が数機降りた。興奮冷めやらぬ間に「き・・来た!来た!F-16」である。当時配備されたばかりのピカピカの最新鋭機・「・こんな辺鄙な所まで来て、ものにしたぞ・・」なんて自分を誇れる気持ちになった。次から次に降りていくF-16は、国籍マークがアメリカだけでなくオランダのものもあった。夕方 ホテルに戻ってテレビをつけると Hill AFBでは なんと「レッド・マックス・アルファ」という3日間に渡る大規模な訓練を展開中だとの事。うむ・・・・こんなんで明日本当にに入れてくれるの??心配と期待が錯綜したまま翌日我々はゲートに向かった。
翌日 ゲートでPAOに連絡、基地内の地図をもらって、388th TFWの司令部に行けとの指示。司令部に入ると何か神経をピリピリさせた若い士官が「本日は訓練である、君たちは指示に従って行動してくれ」とやたら厳しい態度。英語が苦手な私でも感覚的に歓迎されざる客である事を感じたものだ。多分訓練中で余裕もなかったのだろう。我々は案内係りの人の良さそうなオジサンに連れられてエプロンに出た。
388TFW司令官機のF-16A(78-0012)、最初に生産が始まった1978年の12号機、流石に機番が若い。また、当時F-16は初期生産の機体は「鼻黒」であった。
ここの写真のF-16は、全て1978会計年度発注の初期ロットでレーダードームが黒である。空戦訓練時この鼻の黒いF-16はよく目立ったようで、次のブロック5からはグレーのレードームが採用された。我々が訪問する数カ月前にF-16A(78-0006)は、エンジントラブルで墜ちていて006は欠番であった。
全盛期のファントム程ではないが、F-16は米空軍ではどこにでも居るメジャーな戦闘機になってしまった。1970年代の初め、これからの制空戦闘機としてF-15イーグルが開発された頃の事。こんな高額な戦闘機では数が揃わないと焦った空軍上層部が、廉めの軽戦闘機を採用しようとした所に始まる。
YF-17コブラ(FA-18ホーネットの前身)と競合する空軍の時期軽戦闘機候補として華々しくデビューしたYF-16は、スマートだが華奢過ぎて迫力の無い機体に思えた。当時は、ゼネラル・ダイナミックス社なんて余り聞いた事の無い会社だと思ったが、元はコンベアと言う有名なブランドメーカーの血を引く航空機会社である。私は、この華奢に思えるYF-16より”コブラ”の名を冠したYF-17のほうが好きだった。今でもFA-18は、”コブラ”と言うネーミングがそのボディに相応しいと考える1人だ。でも 最新の技術を駆使したXF-16が採用になり、その後逞しく成長して、あっと言う間に数ではF-15を超え空軍を席巻する存在になった。
1976年の入間の航空宇宙ショーにF-15,F-14Aが展示され、私も買ったばかりの大砲のようなシグマ400mm望遠レンズのを持って出かけた。何せ写真撮影を始めたばかりのど素人! 飛行機撮るのに50mmの標準レンズとなんと400mmの超望遠レンズを買って2本でやり繰りしていたのだ。使ってみて直ぐに間違いに気付いた私は、安いZoomを購入した。しかし、それも間違えと気付き、最終的に200mmの短焦点レンズを買う迄ずいぶん失敗を繰り返した。話は長くなったが、400mmなんて当時は相当目立つ長玉だった為(価格は安かったが) よくプロカメラマンと間違えられ、入間基地会場でも「あの・・・・F-16は今回参加しないんですか??」との質問を何回も受けた。XF-16は、A型の実用型の完成は近かったがまだ試験段階であったから、いくら航空自衛隊のFX選定を控えているとはいえ、極東の入間基地に機体を持ってくる程余裕が持てなかったのだ。因みに量産型F-16Aの初飛行は、1976年この年の12月8日である。それから4年後の1980年3月、私は友人とF-16Aが最初に配備されて間もないユタ州のヒル空軍基地を訪れる事になる・・とは想像もしていなかった。(よく聞くフレーズだな・・・これ!)
Insignia of 388th TFW
388TFWは、アメリカ空軍最初のF-16A/Bの運用航空団である。1979年1月6日からF-16の運用を開始し それまで使っていたF-4Dは、1979年末にはどう航空団からすべて引退した。我々が行ったときには「HL」のレターを落としたF-4Dが数機いただけである。同航空団は、1978年生産された初期ロット43機を受け取っていたが、この43機のうち22機までがF-16B(78-0077〜78-0098)で 転換訓練を主たる任務としていた。また F16Aの採用を決定したNATO4カ国(ベルギー、オランダ、ノルウェー、デンマーク)とイスラエルのパイロットの訓練もこの基地で引き受けていた。
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HILL AFBは、その間の通り"小高い大地"の上にある。日本で言えば新田原基地、八戸基地。台湾で言えばCCKに似たような地形。着陸が撮れるポイントまでは 崖を登って行かねばならない。しかし登りきると左写真のようにオグデンの静かな町並みが望める。初めて目にしたF-16Aは、写真のように間隔をあけたフォーメーションで帰って来た。ファントムを見慣れた目には、F-16のシルエットは小柄ながら羽を広げた鳥のごとく美しく写った。
ヒル空軍基地のエプロンで見かけたイスラエル向けのF-16B
(F-16A/B at Hill AFB in Mar.1980)
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