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正に私が写真撮影にのめり込んだ時機に アメリカ3軍の主役を張っていた偉大な戦闘機が”F-4 ファントム”であった。もちろんその当時航空自衛隊では未だF-104の方が数的には多かったのだが、米海軍/海兵隊/空軍はどこを見回しても”ファントム・ファントム・ファントム”的環境だった。

制空戦闘機と言うより戦闘爆撃機として作られた機体だったので ベトナム戦でもその搭載量に物を言わして爆撃に使われる方が多かったのだ。まあ、簡単に表現すれば”爆撃も得意とする優秀な戦闘機”といったところか・・しかしマグダネル・ダグラス社は、デーモンにせよブードゥ−にせよオカルト的名前を付けるのが好きですな、最近の戦闘機はイーグル/ファルコン/ラプタ−だのそれらし過ぎて 面白みがない・・と思いません?


 F-4については、見る角度によって印象が大きく異なる機体形状をしていた。斜めから望遠で捉えるとずんぐりむっくりに見えたし,真横から見ればスマートに見える。しかしずっしりした印象の方が強く,航空自衛隊が導入開始した時も,F-104と比較して「鉛筆からダンプカーに乗り換える」などと言われていた。ネリスのREDFLAGをテーマにしたアメリカ映画”Red Frag The Ultimate”の中で、航空団の司令が「ファントムは、馬鹿デカイ.エンジンを付ければダンプカーでも空を飛ぶと言ういい事例だ」と言う台詞を発するが,アメリカでも同じようなイメージを”ファントム”にもっていたのかと笑ってしまったことがある。でも 5000機以上も作られよく働いた戦闘機であった。


この戦闘機こそが、第2次大戦後のアメリカの全て戦闘機を代表するのに最もふさわしい飛行機と私は考えている。何処から見ても 正にアメリカが作ったと言う戦闘機である。世界中に未だに多くのファントムファンがおり,私もその一人である。(2002年6月 記)

私と友人がルークを初めて訪問したのは、1980年2月の末だった。日本は真冬であるが、ルークは真夏のような気候、砂漠の中での撮影は、時々街中まで車を飛ばして、大きな鉢植えの鉢サイズのコーラを買って水分補給しない事には、干からびてしまう程の乾燥地帯である。翼下にはSUU-20と思われる訓練用ディスペンサー2個が見える。

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F-4C-20-MC / 63-7624

↑ ルーク空軍基地にセクションで着陸する2機の58th TFTWのF-4C。63-7610/63-7566

↑ 既にファントムのレギュラー部隊はテールレターを殆どうろに塗り替えてしまっていたので、美しい白レターには会う事は出来なかった。但しインシグニアや国籍マークはまだまだカラーバージョンのままである。

F-4C-20-MC / 63-7630

F-4C-23-MC / 64-0747

この航空団は、F-4C時代以下の4個の訓練飛行隊を擁していた。

第310戦術戦闘機訓練飛行隊 ..310th TFTS"Top Hat"・・・・・・・・Green & Yellow
第311戦術戦闘機訓練飛行隊 311th TFTS "Sidewinders" ・・・・Blue Line
第426戦術戦闘機訓練飛行隊 426th TFTS "" ・・・・・・・・・・・・・・Yellow Line
第550戦術戦闘機訓練飛行隊 550th TFTS "Silver Eagles"・・・ Red Line
TACでおそらく最後までF-4Cを使っていた飛行隊の1つであったと思う。1980年2月MCAS ユマでの撮影を終えた私と友人は、同じアリゾナ州にあるLuke空軍基地を訪問した。訪問と言っても外からの撮影であるが、此処でF-4CがF-104GやF-15A/Bに混ざり、まだ毎日元気に飛んでいた。ここルーク空軍基地は、極めて撮影しやすい基地であったが、このページに並べたランディングのF-4の写真の一部は、50mmの標準レンズで撮ったものだ。低いとF-104も真横を標準レンズで撮影することも出来た。今は判らないが当時はそんな環境で 地元のマニアが撮影に来ていた珍しい基地だった。

F-4C-21-MC / 64-0665

F-4C-19-MC / 63-7557

↑機体ナンバーから第550訓練飛行隊の司令官指定機となったファントムで、1976年にはオレンジキャンディ・ケインと言う赤いストライプを入れていた。最後はテキサス州空軍で使用されて引退している。

↑ セイバーと言う大きなラインを胴体に入れた第426訓練飛行隊の司令官指定機。このストライプはルークに所属したF-86部隊に書かれ、F-5Eにも入れられたものである。但しファントムに書かれた時期は1976年前後の一時的なもの。

↑ ルーク空軍基地にセクションで着陸する2機の58th TFTWのF-4C。63-7610/63-7566

Wings
F-4C 58th TTW

F-4C-21-MC / 64-0659

F-4C-16-MC / 63-7426

↑ この機体もシリアルナンバーの一致から第816訓練飛行隊の司令官指定機となったファントム。ストライプの色と飛行隊カラーとは関連はないようだ。

F-4C-17-MC / 63-7468

F-4C-19-MC / 63-7566

F-4Cファントム戦闘機は、米空軍が使った各種ファントムの型式で一番最初の型である。元々海軍機として採用された戦闘機を誇り高い空軍が採用したのは、当時ファントムを凌駕する戦闘機が存在しないほど、この戦闘機の優秀性が認められたからである。整備性の良さは当時の空軍最新鋭のF-106の70%、整備コストは安い、航続距離、速度、兵器搭載量も他の追随を許さない高性能な戦闘機だった。よって、空軍はF-106の後に来るナンバー「F-110A」の名称を用意して本採用を決めたのである。しかし 空軍・海軍の機種名が異なることの混乱から、海軍の名称に合わせ、最終的にF-4Cとして採用されることになった。

↑この機体は、1971年にルークに移動して第58戦術戦闘訓練航空団の司令官指定機となったファントムで、尾翼には各スコードロンのカラーラインが入っている。胴体にはキャンディ・ケインと呼ばれる識別マークが1976年に入れられた。現在はマッコードAFBのゲートガードになっている。Mig撃墜マークは、この機体が上げた成果ではなく、航空団司令のヘフナー准将がベトナムで上げた記録のようである。