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F-4D 31st TFW ~TTW
(F-4D 1979~)
第二次大戦の初期、アメリカ合衆国がまだ参戦をしていない1940年の頃に、第31作戦グループとして、ミシガン州で編成された部隊で、中国における義勇軍フライングタイガースのように、国家では無く部隊単位としてヨーロッパ戦線に送られた航空団である(フライングタイガースはあくまで義勇軍で志願有志であるから、若干異なる)。この時、国として参戦していない為、彼らはイギリス国籍を付けたスピットファイアー戦闘機でドイツ空軍と戦ったわけである。第二次大戦後は本国のジョージ空軍基地やホームステッド空軍基地をベースに、レギュラーユニットとしてベルリン危機、キューバ危機などに対応、其の為、ドイツのスパンダーレムやや日本の嘉手納基地などに長期駐在するなど、本国以外での活躍が目立つ。ベトナム戦では5年に渡り南ベトナムのタンホア空軍基地に駐在して戦っている。その後 1970年にホームステッド空軍基地でそれまでのF-100スーパーセイバーからF-4Eファントム戦闘機に転換し、ファントム航空団となったが再びベトナム戦に投入され、その期間も長かった為、戦死者や捕虜となるパイロットも多く出す事となった。当時テールレター”ZE”を付けたF-4Eは、時々横田基地にも飛来しているので、日本のマニアにも馴染みのある航空団である。
1979~1980年に運用していたF-4Eをエジプト空軍に移管して、F-4D戦闘機に変えた珍しい経緯を持つ、私が撮影したのも丁度この時期であった。部隊は、1981年から訓練を担当する航空団に変わり、TFWがTTWに変更されているが、1985年F-16A/BのTACにおける4番目のレギュラーユニットとなって、再びTFW(戦術戦闘航空団)に返り咲いた。しかし 1990年以降 冷戦終了による空軍の部隊縮小と1992年8月にフロリダを襲ったハリケーン アンドリュースの影響でホームステッド空軍基地が大打撃を受けた事から、基地は閉鎖となり、航空団の退避していたF-16は他の部隊に移管され、事実上閉隊となっている。但し 歴史ある航空団第31戦闘航空団の名前は、新たに1994年にイタリアのアビアーノ空軍基地で創設された航空団に受け継がれ、今に至っている。
↑ マクディルの56th TFWより1979年に移管されて後、シリアル末尾が”31”の為、引退までの間ずっと航空団司令の指定機とされた機体で、塗装もベトナム迷彩前期、後期、ヨーロピアン迷彩など多種のマーキングが写真として残っている。胴体に描かれた4個飛行隊のユニットラインとインシグニアが派手である。F-4D-28-MC
65-0731
↑ やはり307th TFS スティンガース所属のF-4D-28-MC 65-0699。この時のレッドフラッグ演習では同航空団の機体は全機胴体下面右翼にはAIM-7E
サイドワインダーミサイルのダミー弾を付けていた。因みに続き番号65-0698から65-0700の3機は全て同航空団に所属していた。
↑ 307th TFS スティンガース所属のF-4D。胴体下面右翼にはAIM-7E サイドワインダーミサイルのダミー弾を付けている。私達がネリスで撮影した機体は、左右共に航空団のインシグニアが書かれていた。
↑ この機体は、F-4D-26-MC 65-0581で、黄色いチップラインから306th TFS所属と分る。やはりヒル空軍基地の388th TFWから移管されてきた機材だが、この航空団の後は、カンサス、そしてミネソタ州空軍で使われた。
↑ 306th TFSのF-4D-29-MC 66-7476。ホロマンの49th TFWで長く使われていた機体だったが、この第31戦術戦闘航空団を最後に引退した。
↑ 1980年3月 ネリス空軍基地に着陸する309th TFSのF-4D-29-MC 667472。インテークにはスコアマークらしきものが書き込まれていた。
↑ 18th TFWのページでもご紹介したベトナム戦歴戦のエース機。嘉手納基地に5年滞在した後、18thTFWがF-15C/Dに転換した際、ホームステッド空軍基地のこの航空団に移動してきた。インテークには小型の撃墜マーク6個が書きいれられている。青いスコードロンラインは、恐らく飛行隊指令の指定機として使われた為に書かれたものである。
↑ 1981年に航空団が訓練部隊に転換した後の307th TFTSの所属機で、やはり左側に中隊インシグニアを入れている。機体は、下面もベトナム迷彩を施したオーバーラル・カモフラージュと呼ばれる塗装になっている。
↑ 胴体左側のインテーク後方には,期間によって中隊インシグニアが入れられていた。この機体は306th TFSの"The Gunner"のインシグニアが書かれていた。ヒル空軍基地の388th
TFWがF-16Aに転換した際にホームステッド空軍基地に移管された機体であるが、最後はカンサス州空軍で余生を送った。
この航空団は、F-4D運用時期に以下の4個の飛行隊を擁していた。
第306戦術戦闘機中隊 306th TFS "The Gunners" ・Yellow Line
第307戦術戦闘機中隊 307th TFS "Stingers" ・・・・・Red Line
第308戦術戦闘機中隊 308th TFS "Knights"・・・・・・ Green Line
第309戦術戦闘機中隊 309th TFS "Wild Ducks"・・・ Blue Line
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