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F-5E's   Page
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冷戦さなかの1970年代、ヨーロッパ地域にもアメリカ空軍のアグレッサー飛行隊が誕生した。1976年イギリスのアルコンバリー空軍基地に 527th ASが創設され, アジア地区で26th ASがPACAFを担当するようにUSAFEの戦闘機部隊の訓練を担当した。彼らのインシグニアは、まさに正面対峙していたロシアのクマである。機体のマーキングの特徴としては、初期のマーキングで多くの機体が、機首のModexナンバーを太書きし黄色で縁取りしているのが特徴で、これもロシアの一部の機体を模倣したものだと思う。この部隊のF-5Eは、当時の南ベトナムが注文して生産された機体が、南ベトナム敗戦後不要となり転用されたようである。この飛行隊ものちにベントウォーター基地に移動してF-16Cを受け取ったが1990年以降ペーパースコードロンとなっている。
527th ASはF-16Cに機種交換して、本拠地をA-10AがいたイギリスのRAFベントウォーターズに移し、代わりにA-10Aがアルコンバリーに移動した。それまで使っていたF-5Eは、8機がミラマー海軍基地に送られトップガン訓練の飛行隊に割り当てられたと言う。
当初彼らの任務は、ドイツやオランダに配備されたUSAFEのF-15部隊との訓練が中心であったが、次第にNATO諸国との訓練も増やされ、西ドイツやフランス空軍との訓練も盛んに行われていた。1988年頃になると酷使されたF-5Eに数々の金属疲労や故障が目立つようになり、事故も少なくなかった。ちなみに部隊での損失は、74-1555が1976年12月、74-1552が1978年8月、74-1550が1982年1月に地中海沖で、74-1548が1982年5月にドイツで、74-1534が1987年10月に、74-1542が1986年1月に失われていたそうである。また東側の戦闘機もMig-29などの新鋭機に変わっていった為、F-16Cへの交代が準備された。
↑ 1980年代後半になると、空軍表記、国籍表示が中抜きのステンシルとなり、機体によっては胴体中央に527th ASの熊のインシグニアを入れた機体も少数だが確認されている。この部隊は、北海を訓練空域とするため、パイロットは冬季、フライトスーツの内側には必ず防水対寒服を着て訓練に出たとされる。
↑ アメリカ本土で使われていたアグレッサーのF-5Eとマーキングが異なっていたのは、機体によって国籍マークが胴体中央に貼られていたり、機首のモデックスナンバーが、赤だけでなく黒に黄の縁付のものもあり ライトブルーのものも存在したことだった。
1976年6月最初の8機のF-5Eが、カルフォルニア州のパームデールでC-5Aギャラクシーに積まれアルコンバリ―に到着したのは、6月14日。6月24日には、12機がそろい10月から始まる”DACT”異機種間航空戦闘訓練の準備が着々と進行していた。各機ともにワルシャワ条約諸国の空軍機の塗装を模してカラフルな迷彩が施され、機首番も東側の空軍、特にロシア機のように二桁の番号がシリアル番号の末尾からつけられたが、重複する際は3桁にしたと言われる。特にアルコンバリ―のF-5Eは、ステンシルタイプの国籍表示とトーンダウンした記号を最初に使った部隊として記録されている。
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