HH-53は、コンバットレスキュー用に開発された専用ヘリである。かなり大型のヘリであるが、海兵隊でよく目にするCH-53Dスタリオンの親戚筋なのだ。重武装で身を固め、国境を超えて長距離を移動、捜索救助活動ができるよう、ペイロードも航続距離も大幅に伸ばした救難ヘリがほしい言う空軍の要求を満たした機体だ。1967年にHH-53Bとして採用され、C型含め72機が生産されたと言われる。大型だが、宙返りできるほどの機動性を持つヘリで、以前世界の警察官を自負していた米軍ならではの装備と言えるかもしれない。シコルスキー製のヘリであるので、何となく海上自衛隊が使っていたHSS-2(SH-3 シーキング)に似ているが、このヘリの発展系列と考えてよい。CH-53は、キングスタリオンまで成長を続けているが、より大きく強くなろうとするこのヘリの発展の経緯は、アロザウルスの全盛期にはまだまだ小さい肉食恐竜だったティラノザウルス(T-Lex)が、暴君竜と言われるほど地上最強の肉食恐竜に変化した進化の過程を見ているようで面白い。このページでは、ロシアから亡命してアメリカでヘリコプターの一大メーカーになったシコルスキー・エアクラフト社のHH-53について、沖縄で撮影できた僅かな写真でご紹介したい。
33rd ARRS所属のHH-53C 98-10357、3色の所謂ベトナム迷彩を身にまとって 敵地に運悪くパラシュート降下したパイロットの救出にも危険を冒して来てくれる頼りになる存在だった。その為「偉大なる緑の巨人」として、食品会社ジョリーン・グリーン社のイメージキャラクターが、この機体のイメージと合致してこの名前になったと聞いている。胴体のマークは、MACのインシグニア。
Wings
1978年3月 嘉手納基地の曇り空を飛ぶHH-53C スーパージョリージャイアンツ。天気のせいにできない。自分の写真の腕も悪かったのだが、実に撮りにくい被写体だった。機首に「5787」と書かれており 33rd ARRSのHH-53C/69-5787と思われる機体。
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1978年9月の嘉手納行で漸くHH-53Cの姿をまともに捉える事が出来た。私にとって多少のリベンジ感があったが、好きなヘリだけにもっと時間をかけて追いたかった。しかし嘉手納と言う基地、当時一機種に的を絞って狙ったりすると、外来の大物を逃すという危険性がありどうしても冒険しづらい基地だった。HH-53C/68-10363 / 33rd ARRS
1978年下期の嘉手納には、この69-5787以外、68-8286も確認されている。我々航空機マニアは、北風の時期大抵は、R/W05の国道沿いで軍用機のランディングを狙っていたが、HH-53の飛行コースは、戦闘機類の飛行コースとは異なることが多い為、偶にしかシャッターチャンスには恵まれなかった。1977年8月と1978年3月ともに何とか撮影は出来たが、真面な写真は残っていない。
1978年10月に確認できた最後の1機が、HH-53C/68-10358で 同じく33rd ARRSの所属。尾翼には、黄色枠に黒帯に「RESCUE」の文字、この機体には、付いていないがMACの所属である。
 33rd ARRS HH-53C 69-5787
1979年に撮影したHH-53C、33rd ARRSは、1982年から何故か小型のHH-3Eに交換されたが、本来任務の性格上、大型のCH-53型の方が使いやすかったはずである。ベトナム戦の経験からコンバット・レスキューにおいては、より重武装と航続距離が求められたからに以外ない。任務上、塗装も目立つラインや白い文字が一切消えて、所謂ロービジとなっている。因みに1979年2月同部隊所属のHH-53が与論島沖2キロに墜落し、乗員3名が死亡するという事故があった。
HH-53Dの中で1機、迷彩色のタンが明るい色で尾翼にもラインが無い機体が記録されているが、ナンバーなどが写っておらずシリアル不明のままである。
HH-53Cスーパー・ジョリー・グリーンヘリは、HH-3E ジョリーグリーンヘリの後継機種として1967年オハイオ州のライトパターソン基地で初飛行している。当初HH-53B型と呼称され、HH-3の3倍の離陸重量とシャフトの馬力が2倍という威力は、ベトナム戦域の長距離救助などで活躍が期待された。C型は、B型のプチ改造型で1970年代後半にアップグレードされたもの。C型は、外部燃料タンクが使用できるようになったこと、より強力な防弾装置を設けたこと、T-64-GE-7というより強力なエンジンに換装されたことが、挙げられる。多くのレスキュー部隊は、後にHH-60に換えてが、HH-53Cの血統は、HH-53HそしてMH-53Jなどの特殊作戦機に継承されている。