1970年代から1980年前後まで、何処の訓練航空団も白いT-38Aの機体の一部をディグロで塗るか、白いままの機体に尾翼のチップラインを入れるかぐらいで、あまり自己主張の強いマーキングは存在していなかったようだ。ところが1980年代も中期から後期にかけては、各訓練航空団共に地元名や基地名などをアピールした独特のマーキングを施すようになった。ウィリアム空軍基地のT-38Aも、1980年代後半から尾翼のチップラインを部隊ごとに色分け分けし ”Willie”の文字を入れていたようである。字体は、時期や飛行隊によって異なっていた。
1990年代初頭に入ると尾翼にインディアンをモチーフにした黒いライン絵柄が入るようになり 部隊の存在をよりアピールするようになっていた。マーキングは、黒帯タイプなど2種類が存在していたようだ。この時期のマーキングが一番派手で美しい。航空団指定機には、”Willie
One"と書き込まれていた。
ウィリアム空軍基地は残念ながら1991年に閉鎖され、今は基地として使われていない。閉鎖になるまでは空軍の有力な訓練基地として、特に戦闘機部隊配属前のパイロットの錬成訓練にT-38Aを使っていたようである。私もルーク基地に行った際、当時F-5Eもいたウィリアム基地に立ち寄りたかったがスケジュールの調整がつかず、ユマ基地行きを優先した為、ウィリアムの白いタロンは上の写真の機体だけである。
ウィリアム空軍基地は1941年に陸軍の航空基地として造られ、当時はメサ軍用空港と呼ばれていた。翌年の1942年事故で殉職したチャールズ・ウィリアム中尉にちなんで、ウィリアム・フィールドと名付けられた。1963年からT-38Aが配備され 97th
FTSがT-38Aを使って訓練を担当していた。1977年にはアメリカ空軍の第一期の女性戦闘機パイロットが、この基地から巣立っている。
今はフェニックス・メサ・ゲートウェイ空港として民間中心に使われているが、軍用機の飛来も多く航空ファンのメッカでもある。
一昔、TAC、SAC等と並んでメジャー軍団だったATC(航空訓練軍団)は、1993年に航空大学と統合して高空教育訓練軍団(AETC)となった。現在は、テキサス州ランドルフ空軍基地(Randolf AFB)に軍団の本拠地を置き 空軍主力のF-15、F-16への転換飛行隊から T-38、T-37を使った中等飛行教育訓練、テキサンなどのレシプロ諸島訓練機など 1600機の航空機を擁する一大航空軍団である。その中でも、この一連のページで紹介するT-38は、初等飛行訓練を終えた訓練生が、いよいよ戦闘機に乗る前の段階で使用する機体として中心的な役割を担ってきた。
1980年3月、ルーク空軍基地で撮影した2機の白いタロンの内の1機。T-38A/64-13231は、尾翼の黒いラインとATCのインシグニアから 航空訓練軍団の機体ではある事は分かったが、どこの部隊の所属かは不明であった。その後 1980年代初期のシリアルリストから、この機体は近くのウィリアム空軍基地の第82飛行訓練航空団所属であることが判明した。このT-38Aは、その後テキサス州のシェパード空軍基地の第70飛行訓練中隊で飛行訓練に使われたが、2008年5月1日エンジンストールにより墜落し、教官と訓練生はベールアウトしたが助からなかったと言う悲劇を起こしたらしい。
ルークの近くにあったウィリアム空軍基地、当時時間が押して行けなかったが、ウィリアムで活躍していたタロンの部隊 第82飛行訓練航空団(82nd
FTW)をイラストでご紹介しよう。