↑ 1989年5月21日 厚木に展示されたVA-185のA-6E/Bu.No.161233。1988年に初めて展示されて以来2度目の展示である。
影が薄い存在だったと言えど、この部隊は唯一ともいえる日本生まれの米海軍艦載攻撃機中隊なのである。上述の通り 横須賀港を母港とする米空母が、大型の新鋭戦闘機を載せられないなど特殊な事情のため、A-6イントルーダー攻撃機の中隊を2つ持つCVW(空母航空団)を作ってしまった訳だ。1986年12月創設、そして彼らは4年後に発生するイラクによるクェート侵攻で砂漠の盾作戦に出かけ、イラクの経済封鎖を行った。
↑ 1990年5月20日 厚木に展示されたVA-185のA-6E/NF-401,機首コックピットラインには飛行隊の副長(XO)バーニー・サッターホワイト中佐の名前が入っている。
↑ 1988年の厚木基地航空祭で空中給油システムのバディシステムからプローグに接続した状態でフライパスを披露するVA-185のNF-400とNF-403のA-6E。航空母艦の艦載機の場合 陸上運用の大型給油機に洋上では頼れない為、艦載機同士で給油作業が出来るようにシステムを構築していた。この仲間同士での給油の為に開発されたのが、バディ・システムと呼ばれる。
↑ 1991年 周辺のビル屋上から海軍厚木基地の北側CVW-5のエプロンを望む。一番手前がVA-185のスポットだった。
(1988)
(1989)
1991年8月6日 厚木基地にてVA-185の解散式が行われ、同隊はミッドウェイ級空母の退役と共に消えて行った。解散時残っていた同隊のA-6E 7機はVA-115に移管され、KA-6Dは本国に帰還したと報道された。
(1988)
(1989)