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飛行機ファンなら”電光を握り締めた拳”、このマークを何かの映画で見たような気がすると思う方は多いはずだ。そうトム・クルーズ主演の「トップ・ガン」でF-14の尾翼を飾っていたマークである。私は、映画で見るより、このマークを付けた実機を見るほうが早かったので、実際にはF-14トムキャットのマーキングで無い事を知っていたが、映画制作者は主役の乗機に使いたいほど魅力のあるデザインだったのだ。
  このマークを付けたVA-25のA-7Eをこの目で見る事が出来たのは、1979年沖縄の嘉手納基地である。この夏飛来した多くのVA-25のA-7Eは鮮やかなグリーンで尾翼を塗りこめ、尾翼の中心に右のマーキングが描かれて印象的だった。しかし、実は私自身もその時までこの部隊のことをあまり知らなかったのである。

 この部隊、レシプロのA-1スカイレーダーを装備していた時代から、この部隊マークを付けて有名だったのだ。スカイレーダーと言うレシプロ機から.突然最新の攻撃機A-7Aに機種変更したVA-25は、A-1時代からベトナム戦でも活躍した部隊でA-1でのMigの撃墜記録もある勇猛な部隊だった。但し下のイラストのようにA-7E装備初期の頃までは”NE”の文字を電光にからませたデザインで、古い白黒写真で見てもあまり印象に残らないかった。やはりマーキングは拳と電光の方が生えるのである。VA-25はCVW-2”NE"での期間が長く 1970年にA-7Eを受領し確かUSSレンジャーが引退するまでこの空母に載っていた部隊の1つだ。その後FA-18Cに機種変換し NASリムーアを相変わらずベースとして活躍している。(2003/10 記)
1972年当時のVA-25のマーキング、この時代は拳ではなくCVW-2の”NE”が書かれていた。1972年はVA-25にとって最後のベトナム戦参加となったが、ラインバッカーⅡの激しい戦闘を経験することになる。このマーキング時代の1970年と1972年の2回ベトナム戦に参加したが、1970年には1機が撃墜されている。本機は、400番の”00”は、ナットのデザインに換えてある。
1975年のVA-25のA-7Eは、最も派手なマーキングを施されていた。背中から尾翼に開けてグリーンベルトが引かれている。白い帯にはイラストではよくわかないが、ハート、スペード、ダイアなどのマークが並んで書かれていた。イラストの空対空ミサイルは1970年代海軍が使っていたAIM-7G/H
1979年の6月に飛来したVA-25のNE-412。機首番号もビューアルナンバーもない機体でModexは412、増装タンクの赤黒のチェックが気になる。
1979年7月USSレンジャーから突然飛来したVA-25のA-7Eは、その後8月末まで空母と嘉手納基地の間で頻繁に往来を繰り返した。8月には爆装をしての訓練も行われた。当時の嘉手納の海軍スペースは飛来した機体を上からGETできる絶好の撮影ポイントがあった。尾翼にオールドイングリッシュで”XO”と書かれているのは本来”02”番機で副長機である。
これも短期間施されたマーキングのようで、果たして部隊全体で使われていたかどうかは不明である。ノーズから背中にかけてラインを伸ばしたデザインはVA-56でも採用されており、A-7では複数の部隊を見ることができた。
Wings
渡辺 明さんが1975年に撮影されたVA-25のA-7E。リムーアにおいて撮影されたものであるが、機首の20mmバルカン砲の砲口が煤けている事から撮影日前に訓練で使用された模様。Bu,No,159284
嘉手納基地R/W-23にアプローチするNE-412とNE-402。この直後 NE-402は突然エンジンを全快し上昇、空母に帰還してしまった為、2機が並んだランディングは撮れなかった。今確認すると、この白黒フィルムのコマの前後にA-7Eはなく、この頃こんなシャッターチャンスでも1枚しかシャッターを切っていなかったのだ。当時の貧乏学生は大事に大事にフィルムを使っていたのである(笑)
早朝の光が眩しい午前7時過ぎに離陸していったVA-25の4機のA-7E。早朝のR/W23のタキシングは光線具合が悪く半逆光。
NE-404
NE-410
NE-401
NE-402
NE-405
NE-413
A-7は、機種に機関砲を搭載していたが、A/B型が、機種左右に夫々20㎜機関砲をつけていたのに比べE型になってからは 高性能のM-61/20㎜バルカン砲を機種の左に1門だけ付けるようになった。従ってE型の場合、M-61の無い右手機種部分はのっぺりした感じに見える。
上のNE-411がサイドワインダー用のパイロンSta.4-5を装着していないのに比べ、右のNE-413は、それを取り付けているのと、燃料タンクをSta.2と7に付けている為、重厚な印象である。サイドワインダーは自衛用で、ベトナム戦争時代は両翼のパイロンを爆弾で埋め、MIg戦闘機の迎撃を受けた際は胴体側面のミサイルで応戦できるよう機体設計がなされていた。
1980年代に入ると 尾翼を一面に塗りつぶすようなマーキングが禁止された為 徐々に地味な塗装が増えてきたが、VA-25も例外に漏れず1979年には左のような塗装に変更を始めた。そして 1982年には完全な低視認性塗装(ロービリビジティ・マーキング)に変わっていくのである。