click here
↑ 1981年8月にワシントン州ウィッドビーアイランドで撮影されたVAQ-129のEA-6B/Bu.No.158542
↑ 1982年11月バックレイ空軍基地で撮影されたVAQ-129のEA-6B/Bu.No.158583
↑1978年11月カルフォルニア州エドワーズ空軍基地で撮影されたVAQ-129のEA-6B/Bu.No.158816
↑ 1978年4月ヘクター飛行場で撮影されたVAQ-129のEA-6B/Bu.No.158040
VAQ-129は、アメリカ海軍艦載機部隊の電子戦を担う要員が訓練を受ける最初の教育部隊である。VAQ-129の前身はVAH-10という艦載爆撃機中隊で、A-3スカイウォリアーを装備して1961年5月にスタートを切ったが、VAQ部隊の多くがVAHと言う「こんなものなぜ造ったの?」と思える大型の艦載爆撃機部隊の流れをくむ。A-3は大戦後核爆弾の運び屋として海軍の要求で造られた双発ジェット爆撃機だったが、ロシアの防空力の前に直ぐに役立たずとなり、よりスペースに余裕のあるこの大型機をどう使うか考えた挙句、選んだのが給油と電子戦専用機への道であった。特に電子戦専用機としては成功し、激しくなるベトナム戦で重宝された存在となった。
ベトナム戦では、米空軍、海軍共に北ベトナム軍の地上レーダーと連携した迎撃戦闘機と対空ミサイル部隊に散々な目に遭わされていたので、電子的にこれらを妨害する機材に飢えていた。A-3は、大型で電子機材を積む余裕もあったので 使える機体の多くは電子戦専用機EA-3に改造して、それでも機数が足りないくらいだった。そのEA-3の後継機種がEA-6A/Bであり、早くベトナム戦に投入したい海軍は開発を急がせたとある。
↑ 1976年10月にカルフォルニア州ミラマー海軍航空基地で撮影されたVAQ-129のEA-6B/Bu.No.158651
↑1975年11月モフェットフィールド海軍航空基地で撮影されたVAQ-129のEA-6B/Bu.No.158033
VAQ-129は訓練飛行隊なので、固定した空母に配備されることはなく、ワシントン州のウィットビーアイランド海軍基地を拠点として教育を担当した。最初のテールレターは、「TR」・・トレーニングを意味すると思われる。
テールレターを”NJ”に変更した後のマーキング例で、この機体の場合尾翼のレードームの先端、ジェットのインテークが黒に塗装されアクセントを付けている。インシグニアのクロスさせた電光と剣は、1980年代まではデザインを変えずラダーを飾っていた。