VAW-114

(1967〜1995)

1979年10月10日米空母USSキティホークが、横須賀に寄港。4日後の10月14日CVW-15の所属機を満載したまま 一般公開が行われた。普段CVW-5のVAW-115しか目にしない私にとって、それ以外のホークアイと出逢うのは非常に新鮮でシャッターを押し続けた。「Hormel Hawgs」のE-2Cはフルカラーで美しいラインを機首に描き、”赤い猪”をあしらっている。甲板上にはスコードロンクルーの姿は少なかったが、その内数人がVAW-114のクルーで、↓写真のクルーは、来客の質問にも快く受け答えしていた。彼のフライトジャケットの背中は、これ以上は余白がないほどのパッチが縫い付けてあった。そのVAW-114もすでに解散してしまった。

アメリカ海軍の早期警戒部隊と言うのは、第二次大戦後の1948年には創られている。恐らく太平洋戦争で神風特別攻撃隊の攻撃にさらされた米空母群を守る為、駆逐艦を前線ピケット艦として配置して対応してきた経験から、早期に敵機の襲来を察知して対応するための部隊が求められたのであろう。創設されたのは、まず太平洋艦隊に所属する13隻の正規空母と対潜空母に分遣隊を派遣して運用できる規模の大きい部隊VAW-1である。使用機は、アベンジャー雷撃機の胴体下に大きな捜索レーダーを付けたAD-5Wという機体で始まっている。このAD-5Wが後にE-1B、E-2A/B/Cと機種交換しながら応力を高めていくわけだが、部隊規模も大きくなっていく中で分遣隊ごとに部隊を分ける事になり、1967年VAW-111〜116迄の早期警戒飛行隊が生まれたわけである。VAW-114は、分遣隊Cから編成された。

空母キティホーク艦上でのE-2C。全長17.56m 全幅24.56mであるが、翼をたためばこのように狭い場所にも3機が収まる。

VAW-114は、1982年に空母カールビンソンに移り1990年までに6回の太平洋方面での遠征航海を行っている。その間にイラン・イラク戦争でのタンカーの護衛任務等に着き、1991年にE-2C+にバージョンアップされ、1992年再びUSSキティホークに戻ってきている。その後パナマなどで麻薬密輸の監視業務などを行っていたが、冷戦の終了と主に海軍部隊の削減計画により1995年3月末に部隊は、解散となった。

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VAW-114は、編成当時E-2Aを運用し、ベトナム戦では空母コーラルシーに搭載され、1967年から1972年まで6回もベトナム戦に派遣され、ベトナム軍の標的となっていたアメリカ空母艦隊の護衛についている。空母キティ―ホークに移動したのは、イラン人質事件が勃発した時期で1978年である。

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