VAW-115

↑ 1979年厚木基地を離陸の為、R/W-19に向けてタキシーするE-2B/Bu.No.151706

↑Modex601は、E-2B/Bu.No.151706からE-2B/Bu.No.150532に替っていた。

CVW-5の傘下にあったVAW-115のE-2Bは、1975年までModexに010/011/012/014を使っていた。1976年からModexを601/602/603/604に変更しているが、各機体の入れ替わりは頻繁に行われていたようだ。

E-2B NF601(151707) Dec.1976

1967年4月に創設された部隊、長い間CVW-5に所属し厚木基地をベースにしていた為、日本の航空マニアには一番親しみのある飛行隊だった。創設当初は、USSレンジャーに搭載されてCVW-2(NE)に所属していたようだが、ベトナム戦に派遣された後の1973年にUSSミッドウェイのCVW-5に移動している。1970年代後半から1980年に掛けてアラビア海やインド洋への遠征を11回以上こなし、後に湾岸戦争へも参加している。2017年にVAW-125と交代するまで足かけ46年間(公式には44年と記録されている)の長きに渡り、日本周辺で活躍した部隊としてその様子をページに綴ってみたい。VAW-115の部隊名”Liberty Bell”とは、皆さんもご存知の通り .アメリカの独立のシンボル「自由の鐘」の事であり、この鐘は、大統領選挙の激戦地でも有名なペンシルバニア州フィラデルフィアにある。

↑ 厚木基地で飛行訓練をするVAW-115のE-2B。この頃、既にC型への交換が決まっていたはずである。E-2B/Bu.No.152480は恐らくVAW-115に配備された最後のB型の1機だったはずである。

↑ 空母ミッドウェイが横須賀で修理中に一部関係者に向けて公開された。この時格納庫内に修理をされ塗装中のNF-602を見る事が出来た。Bu.No.151725と思われる。

↑ 1978年の小松基地航空祭に展示されたE-2B/Bu.No.152478は、大雨の中 厚木基地に向けて帰投した。

E-2B NF601(152478) 1978
E-2B NF604(150532) 1976

↑ 部隊名は”リバティベル”自由の鐘であり、部隊徽に由来する緑と黄色の2色を使った洒落たデザインで機体を飾っていた。

↑1976年11月に厚木基地内で撮影されたVAW-115のE-2B/NF-604/Bu.No.151716は、Modex604の2代目の機体らしい。

↑ アメリカ建国200周年の1976年、特別塗装を施されたE-2B/Bu.No.161716は、入間基地で1976年に開催された国際航空ショーにも出展されている。私が最初に出会ったホークアイである。

E-2B NF601(151725) 1978

↑1976年4月に厚木基地内で撮影されたVAW-115のE-2B/NF-604

↑1976年9月に厚木基地内で撮影されたVAW-115のE-2B/NF-603/Bu.No.151709

建国200周年の赤いラインを落とし通常塗装に戻ったE-(151716) 1977年厚木R/W-19での離陸を前にしたタキシングシーン。B
E-2B NF604(151716) 1977
E-2B NF603(151704) 1977
E-2B NF603(151709) 1977
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VAW-115は、1985年頃から新型のE-2Cに機種変更を開始する。1985年4月頃E-2Bは、木更津港で梱包されて本国に戻ったそうである。その後継機として同じく木更津経由で4機のE-3C/Bu.No.158646/160420/16094/160992 等が運び込まれたとされる。

E-2B NF604(151716) Nov.1976
E-2B

↑ 1979年1月に厚木基地で撮影されたVAW-115のE-2B/NF-603。この機体は当初Modex601を付けていたが、603に変更となった。

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