F-4N
VF/A-161
尾翼からレイドームまでダイナミックにグロスブラックで塗りこみ、尾翼に赤い電光!F-4N/J時代の「チャージャース」のいでたちは、日本国内だけでなく海外のファントムフリークの憧れでもあったらしい。元々ロス・エンジェルスに本拠地を置いていたフットボールチーム”チャージャス”から名前を取った飛行隊であるが、電光もこのチームのマークから頂いたものである。
 今考えるとこんなに美しいマーキングの機体を何時も目にすることが出来た厚木のマニアは幸せだったのではないだろうか。S型に変わっても暫くの間は、赤い電光がファントムの尾翼を飾っていたが、後に黒またはグレーの電光にロービジ化されてしまった。こうなると全く冴えないマーキングに見えてしまうから不思議だ。シスタースコードロンのVF-151と共に1986年4月に本国に帰還。後にFA-18Aを受領するが、ほどなく解散してしまった。

↑ VF-161は、1965年からF-4B型を運用開始し、1973年にN型に更新するまでの間、ベトナム戦争で7機のミグを撃墜する戦果を挙げた。この図の機体はUSSミッドウェイで6回目の航海の時、1972年5月23日にジョン・マッキーウン中尉とジャック・エンシュ中尉のコンビが、Mig-17とMig-19の2機撃墜した時の機体である。

Wings
↑ 1976年アメリカ建国200周年の記念に特別塗装されたNF100で、ネービーブルーのラインと尾翼のデザインが極めて機体を華やかに見せ、人気の高い塗装だった。
1977年建国200周年のバイセンティニアルマーキングを落した後、VF-161のCAG機は尾翼のラダーと背中の艦名をCAGカラーで塗りこめ、空気取り入れ口には「航空隊長」と漢字で文字を入れ込んだ。写真では小さくてはっきりしないが、当時マニアでは話題のネタだった。この機体(Bu.No.151433)はF-4N型最後の隊長指定機であり、この後1977年8月にはF-4Jの受領が始まり、マニアの目からN型は消えていった。
F-4Jが部隊配備開始して後、B型を捨て去るのを惜しんだ海軍は、B型の寿命延長策を考案。その結果生まれた型がN型である。178機が改装されたとされているが、写真でスターマークの上に細長く膨らみがあるところがECM装置、これもB型時代にはなかった特徴である。
 写真は1977年初春に航海から戻ったミッドウェイを離艦して厚木に着陸したVF-161 NF115である。風はR/W01左翼にはパッケイジ・ポッドを下げている。
Old Markinng of VF-161's F-4B
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1986年に厚木を去ったVF-161・・すでに四半世紀を過ぎているが、私の脳裏には今も色鮮やかな”チャージャース”のマーキングとファントムの雄姿が焼きついている。1973年の3月に当時の中型航空母艦”USS MIDWAY"が横須賀を母港にするようになって我々の身近な存在になった。それから何と13年間も厚木をベースにしていた部隊なのである。しかも、この部隊はF-4Bファントム時代から3度もベトナム戦に参戦した歴戦の部隊で、1966年から1973年までに少なくとも7機以上のMig戦闘機を血祭りにあげている。ただこの飛行隊自身の損害もその分多かったようだ。

黒い尾翼と赤い稲妻のマーキングになったのは1972年で厚木配備1年前からであり 、それまでは赤いシェブロンにインシグニアをあしらったマーキングであった。

↑ 夕方、日が暮れかかった厚木基地で飛行訓練の為、タキシングするVF-161のF-4N/NF-111。この後長いアフターバーナーの炎を引っ張りながら離陸して行ったが、写真は証拠写真程度の画質となった。インテーク上部に配管ダクトを引いてAN/ALQ-126アンテナを付けているが、NF-101にはそれが無い。

↑ 渡辺 明さん提供の1975年撮影のF-4N。私がその頃撮影で使っていたコダックのネガカラーフィルムでは既に再現できない本来のカラーリングが、リバーサルフィルム・コダクロームでは現在も見事に再現できる。
↑ VF-161のベトナム戦での戦歴は記録に残るものであるが、USSコーラル・シーやUSSミッドウェイに搭載されてベトナムで活躍していた頃のF-4B初期のマーキングが上の図である。因みにベトナム戦でのVF-161の最初の撃墜記録は、1966年6月13日で、北ベトナムの鉄道を攻撃したアメリカ海軍機を迎撃してきた北ベトナム空軍のMig-17と交戦、ウィリアム・マクギガナ中尉がサイドワインダーミサイルで1機のMig-17を落したのが最初である。

↑1977年に記念塗装が落とされ、以前のB型時代のデザインを一部復活させたマーキングで再登場したNF-100。ジェットインテークに漢字で「航空隊長」と書かれたのが話題となった。

このパイロットが、4月26日の20ftの超低高度テイクオフの方ではないだろうか?