VF-21
(1944~1996)
(1987/7/26 Hyakuri AB)
"Lancer"とは騎士の象徴である長槍を持った槍騎兵の事だが、頭に”Free”が付くと、どこの国とも専属契約を結んでいない自由な兵士たちの事だそうだ。つまりは、金によって敵にもなれば味方にもなる傭兵のような存在と思われる。ただ部隊マークのブラックパンサー(黒豹)は、どこかの騎士の紋章なのだろうか・・ F-4時代も大きなシェブロンにこの黒豹のマークが輝いていた。尾翼を飾るシェブロンは時にベースが黒だったり黄だったりで色を変えているが、やはり黄が一番お似合いだと私は思っている。F-14Aを受領したのは、実戦VFの中で一番遅いほうで1984年の3月、しかもF-4Nからの更新だった。これは、彼らのF-4でのラスト航海がUSSコーラルシーであった為、当時配備を受けていたS型が乗せられず急遽N型に機種交換したことによるものだ。
 F-14Aを受領後は、CVW-14に所属しUSSコンステレーションで活動したが、1991年にCVW-5に移り 我が国をベースとするようになった。グレーのロービジ塗装になっても キャノピ周辺を黒く塗り分けしていた伝統を引き継ぎ、暗めのグレー色で塗るこだわりは捨てなかった。1996年に部隊は解散した。
(1987)
(1987)
(1987)
(1992)
Blacktail of Last Lancers(1995)Bu,No,161616il
↑ 1990年空母インディペンデンスに搭載されたCVW-14の一員としてVF-21は、イラクでのオペレーション・デザート・シールドに参加。この時にVF-21の200番機に施されたCAGマーキングが上のイラスト。1989年と比較しても見劣りしない派手なマーキングである。翌年1991年からUSSインディペンデンスは横須賀を母港とすることとなり、VF-21もCVW-5”NF”に移動して、厚木に初めてF-14Aが配備された。
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NF-200 (1994)
NF-204 (1995)
カラーCAG機復活の第1号!1994年の厚木Wing-94に展示された”NF-200”伝統の黄色いシェブロンと黒豹のマークは F-14に良く似合う。エンジンカバーもスコードロンカラーできめている。
NF-200 (1994)
↑ R/W19で厚木に着陸するF-14A NF-207、横風の影響か右に大きくバンクした。私がコダックの超微粒子フィルム テクニカルPANを常用していた頃の写真である。バンブー文字は、CVW-5では、VF-21が使い始めたのが最初か・・・
↑ 1992年後半から 尾翼の黒豹の絵柄がシェブロンを突き出る形で大きくなった。下のカラーモードになったNF-200は、1994年撮影のもの。
↑ 厚木に配備されたら早速撮影しておかねばならない、部隊のマーキングが時々変わってしまうからである。当初配備された1991年から1992年位までは機首上面のダークグレーのライン、尾翼のチップラインがはっきり書かれていたが、その後少しづつチップラインがないものや機首の上面の塗り分け(モヒカン)のないものが増えてきた。
↑ VF-21とVF-154が厚木をベースとしたのが1991年9月、ここから我々にとって憧れだったトムキャットが身近に撮れるようになった。1992年の厚木の航空祭でデモフライトした最初の3機の内、2機はVF-21所属だった。
↑ 1987年のUSSコンステレーションの西太平洋航海時において、VF-21とVF-154のF-14が厚木、百里 千歳基地な等の航空祭に展示された。往年のガルグレーにフルカラーのマーキングは、海軍機マニア達をを感激させるに余りあるものであった。
NK-205 (1987)
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航空母艦積載の大型戦闘機部隊は1飛行隊のみ・・・TARP(偵察ポッド)運用能力の無い飛行隊から閉鎖!なんと言う冷たい指令であろう。海軍のこの方針に基づきF-14飛行隊は次々に解散し、約半数の勢力まで減ってしまった。CVW-5でもVF-154が生き残りこのVF-21は解散、なんと4年余りでお別れとなった。1995年12月厚木を最後の5機のF-14Aが去り 翌1996年1月に本国で公式に閉隊している。
(1994)
(1994)
(1993)
(1995)
Wings
F-14A