VF-21
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横須賀港を母港とする空母ミッドウェイが、老朽化と改装の失敗により予定より早く引退することが決まり、厚木の海軍マニア達の話題は、次に来る空母インディペンデェンスに載る空母艦載機の部隊、特に100番台200番台にF-14Aトムキャットの部隊が宛がわれることから、この2飛行隊がどのスコードロンになるかが、一番の関心事であった。既に専門家はVF-21とVF-154が来ることを予想していたが、この2飛行隊は、1987年にも空母コンステレーションから厚木基地の航空祭に参加しており、予兆はあったのかもしれない。私にとっては、マーキングの美しいVF-21は来日を期待する筆頭にあったので、1991年秋から厚木に配備された部隊を1992年春先から追っかける事になる。
↑ 所属の空母航空団を表す”NF”の文字もVF-21では東洋的に竹を模したバンブー文字が採用されていた。
↑ 確か金網越しに撮影したと思うが、VF-21のF-14Aのエンジン始動前準備風景から、始動⇒タキシングに至るまでの一連のシーンを間近に見る事が出来たのは幸運だった。私は、興奮しながら完全に自分自身の世界に浸って、一連のクルーの動きをファインダーに収めた。機首下面のカメラ筒に”闘魂”と書かれている。
↑ 電源車、酸素補給装置など一連の接続作業が終わり、いよいよエンジン機動である。
↑ 1992年4月厚木基地の航空祭"Wing-92"でデモフライトした最初のF-14A 3機の内、2機はVF-21所属だった。
↑ 1992年から厚木の航空ショーは”Wing-○○"と銘打って開催されるようになった。"Wing-92"の目玉はやはり配属されたばかりのF-14Aであり、1日中人だかりが絶えなかった。
↑ 湾岸戦争が一区切りついてVF-21とVF-154が厚木基地をベースとしたのが1991年9月、つまり1991年秋口から我々にとって憧れだったトムキャットが身近に撮れるようになったのだ。機体に書かれた"USS INDEPENDENCE"の艦名も、ずっと見慣れてきた"USS MIDWAY"の文字に比較して 極めて新鮮な感覚を持った。4月の厚木基地の航空ショーを前に、日ごろの訓練を見ておくことに・・・
(1992)
↑ ロービジ塗装とは言え、比較的明暗のしっかりとしたマーキングであり、特にコクピット周りのモヒカンラインは機体が締まって見えていい感じである。この航空ショー前にVF-21の各機の機首下面のカメラ筒に”闘魂”と書き込まれていた。
(1992)
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↑ F-14トムキャット戦闘機の売りである長距離空対空ミサイルによる艦隊護衛、これを支えるのがNF-210の胴体下にあるフェニックスミサイルである。ダミーであっても、これを付けて訓練することは少なかった。
↑ 厚木に配備されたら早速撮影しておかねばならない、部隊のマーキングが時々変わってしまうからである。当初配備された1991年秋から1992年末位までは機首上面のダークグレーのライン、尾翼のチップラインがはっきり書かれていたが、その後少しづつチップラインがないものや機首の上面の塗り分け(モヒカン)のないものが増えてきた。