VF-2
F-14D NE-105/107
.......in USS CONSTELLATION
F-14D NE-110's Nose
.......in HANGAR
F-14D NE-110&111's Tail
.......in HANGAR
VF-2という飛行隊、第一次大戦後の1922年誕生と海軍飛行隊では、極めて早い時期に創設された歴史ある部隊だと資料にはある。しかし、何故かVF-2は長く閉隊されており、F-8/F-4などが活躍したベトナム戦争中期までの戦史には登場しない。その為、F-14の部隊として復活するまで殆ど忘れられていた歴史上の飛行隊であったはずだ。
実は、VF-1同様 海軍航空隊創設時のVF-2から継承はなく アメリカ海軍が最新鋭F-14部隊の最初の部隊ナンバーに由緒あるVF-1とVF-2を復活させることで、F-14のデビューに花を添えることが目的であったようだ。

 新鋭の2飛行隊を搭載する母艦も当時唯一原子力機関を使っていた空母エンタープライズであった為、この組み合わせは正に最新のアメリカ海軍を象徴する存在だったと言えよう。VF−2は、その後F−14シリーズの最新バージョンであるF-14Dを受領し 最後までF-14を使いつづける飛行隊の1つになると思ったが、2003年11月イラク・フリーダム作戦参加のためサンディエゴを出港 7ヶ月間の作戦を終え2003年6月にオシアナに戻ったのがF-14Dでの最後の航海となった。同隊は2003年7月1日付けでVFA-2になりFA-18Fを受領し CVW-2 USSエブラハム・リンカーンの搭載航空団に入った。
2002年オシアナのOHでは、初めてVF-2のF-14Dが展示された。上の三人は、オシアナのエプロンで出会ったパイロットである
1999年7月23日に横須賀でUSSコンステレーションが公開された際に甲板上で ファインダーに納まってくれたVF-2の二人のクルー。バックのF-14はノーマークであった。バウンティハンターズ・・「賞金稼ぎ」というのが、彼らの部隊ネームである。1972年 海軍でVF-1と共に最初にF-14Aを受領した部隊で ベトナム戦(終戦間際)を経験した数少ないトムキャット部隊でもある。
(2002)
(2002)
(1999)
(1999)
(2002)
Wings

VF-2 "Bounty Hunters," was established on October 14, 1972 flying the F-14A Tomcat.

VF-2が、機首に施した3色のストライプ、このストライプが間延びしたF-14の長い機首にアクセントを与えて引き締まった印象に変える。その後誕生したF-14部隊のマーキングにも大きな影響を与えている。このストライプは”ラングレイ・ストライプ”と呼ばれ 元々は海軍初の空母ラングレイで試験運用飛行を行った航空機の識別表示だったものだ。
1976年に入間で開催された国際宇宙航空ショーで展示したF-14Aトムキャットが、私にとっても始めてVF-2との出会いであり、多くのマニアと同様にトムキャットとの始めての対面であった。この時は、最新鋭の艦上戦闘機を間近で見たという感動が先行し、NKのレターをつけたUSSエンタープライズの艦載機を撮影できたという珍しさは感じなかったように記憶している。(但し パイロットは、グラマン社所属の人が操縦していたはず)当時買ったばかりのシグマの400oレンズで撮影したものだが、撮影コマ数は少なく、今振り返るともっと様々なショットを撮っておくべきだったと後悔している。

VF-2は、1980年からCVW-2に移動して 1980年9月に空母キティホークに搭載され航海に出た。CVW-2所属を表す”NE”のレターをつけたCAG機には、上図のような各飛行隊カラーをフルに書き込んだ塗装もあった。F-14-90-GR Bu,No,159852

↑1984年に一度USSキティホークに載っているが、1986年から再び空母USSレンジャーの戻り 1993年7月に空母レンジャーが退役するまでの間 ずっとこの空母と共に行動した。1987年時のマーキングは、ロービジの波を受けてラングレーストライプも尾翼にこじんまりと書かれるようになった。1990年代 湾岸戦争勃発により レンジャーは他の4隻の空母同様に活躍 ペアを組んでいたVF-1のF-14Aは、1991年にイラク軍のヘリも撃墜している。1992年からは、イラク南部の飛行禁止区域のパトロールに従事した

↑ 1994年頃ののVF-2のF-14Aで ほぼ完ぺきなロービジ塗装のもの 尾翼のスカルの目が星になっているのが面白い。

VF-2 Tail-Marking (2000)
NE-107
NE-110
1999年までVF-11が使っていたオフィスを VF-2が塗り替えて使用している。
2000年には、書かれていなかった機首のストライプが、2002年はコマンダー機以外の機体でも復活した。グレーの濃淡を上手く使って塗装してある。
Tomcat in Hanger (2002 NAS Oceana)
VF-2 was redesignated VFA-2, and began transition to the F/A-18F Super Hornet. On October 6, 2003, VFA-2 took delivery of its first Super Hornet.
F−14A (159625)
1975年4月北ベトナム軍とベトコンが迫る南ベトナムのサイゴン、ベトナム共和国最後の場面で 米国国籍者や南ベトナム人の脱出作戦を支援するフリークエント・ウィンド作戦で救助に当たるHH-53CやCH-53などの上空警護を行ったのが最初のF-14A出撃であった。この作戦でVF-2は、1975年4月末にUSSエンタープライズから初出撃をした。
↑ 上図の塗装は、USSコンステレーションに搭載されるようになってからのものである。特にこのCAGマーキングは、全体像を映しこんだ写真が少なく ネット上でも1枚しか公開されていない貴重なものだが、1995年8月のミラマーのオープンハウスに展示されたことがある。
VF-2 Tail-Marking of CAG
NAS オシアナをTAXINGするVF-2のNE-200。日本では撮影できなかったが、運良く撮ることが出来た。しかし 部隊創設時のマーキングの方が どちらかと言えば好きである
Displayed in Oceana Openhouse (2002 NAS Oceana)
VF-2は1980年にTARPS部隊となり、艦隊の”目”を担うことになったが、長らく在籍したCVW-14からCVW-2へ移ったのもこの頃である。デビュー当時からの”NK”のレターに親みがあったが”NE”に変わり、その後20年以上尾翼にNEを付けFA-18Eに変わる最後までCVW-2”NE”のままであった。
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