VF-31
VF-31 F-14時代最後のCO,ラブランチ中佐
AJ-201の赤い尾翼には、フィリップ以外にも 左のようなトムキャット君のイラストが描かれていた。
フィリックス・ザ・キャットという猫の漫画は、日本の一般家庭にテレビが普及して間も無くアメリカからやってきた初期のカートゥーン(テレビアニメ)で、私も我家が白黒テレビ時代にこの漫画番組を見た記憶がある。非常に単純なストーリーであったように記憶しているが、あの頃からアメリカ産のB級漫画は、ディズニー映画など一部を除いてはあまりストーリー的にも進歩していないように思える。

 話が逸れたがこのキャラクターは大戦前の1919年からあったそうだから、ミッキーマウスより長い歴史を持っている。日本で言えば”のらくろ”に相当する古さであろう。VF-31がこのキャラクターを機体に入れ始めたのも第一次大戦当時で、その頃の部隊名はVF-1B、使っていた戦闘機ボーイングF-41Bと言う複葉戦闘機のボディーに書き込まれていた。VF-1Bは1948年に現在のVF-31になったが、ベトナム戦の後期には日本の厚木にも飛来しているので諸先輩方は何度か目にしているはずである。”AC"のレターと赤い尾翼そして母艦がUSSサラトガであったことが記憶に強い。

 1981年1月にF-14トムキャッツに機種更新して以後も永らく大西洋方面に所属したが、僚友のVF-11と共に太平洋方面に移動し新鋭のCV-70カールビンソンに搭載されて1994年3月に横須賀も訪れている。その後VF-11は再び大西洋方面の空母航空団に戻ったが、VF-31はそのまま太平洋方面に残り、我々の目の前にいつ姿を見せてくれるかと待ったものの,ついに厚木で彼らに会う機会はなかった(2003/12 記)
(NK-110)

↑ 1985年から第6空母航空団(CVW-6)に移動し VF-31も搭載される空母がUSSフォレスタルに変更となる。フィリックス君は再び尾翼に復活しコックピット横からは消えたが、増装タンクなどあちこちに書かれていた。なおこのタイプでは整流板は赤く塗られていない。

Wings
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↑ 1960〜1970年代の20年間以上もCVW-3の傘下から動かず、1985年からCVW-6に移動したものの、この飛行隊ずっと大西洋方面の部隊として定着してしまった感があった。しかし1994年突然CVW-14の傘下に入り、西太平洋に来るようになった。実際は、厚木などに大挙して飛来することはなかったが USSカールビンソンが横須賀港寄港した際、報道陣に公開された甲板でのVF-31 CAG機は上のイラストの塗装だった。

新聞漫画家のパット・サリバンらによって1919年に考案されたそうで ニックネームは”不屈の猫”何があってもへこたれないところが、部隊のマスコットとして使われた由縁かもしれない。
VF-31と言えば尾翼は真っ赤で、機首は鼻黒でないとそれらしくない・・・そう思いません?
この真っ赤なテールこそこの部隊に似合うのだが、F-14の場合、ここに本来はフィリックス君が書かれて無いといけない。文献によると帰国前の嘉手納飛来前後に”NK”の文字に直されたそうであるが、F-4ファントム時代のスタイルであり、過去の雄姿を回顧した味付けであろう。
2003年NASオシアナで見たVF-31の中で、右のサムネイル(小窓写真)のNK-112とNK-110は、なんと2002年イラク・フリーダム作戦時に書かれたスコアマークを残してあった。何故機番がNK-112になっているのかは確認できなかったが、当時のNK-101(164600)だと思われる。何故ならスコアマークが2002年7月のNASオシアナに帰還した当時と同じ11個である点と、パイロットネームが当時のままのCO・ハース中佐とサノフスキー中佐となっているからである。NK-110の方は一部機首のパネルが新しくなっているものの、何と27個以上のスコアマークが書かれた跡がある。これが当時の何番機かは不明であるが、2003年9月にエプロンで見たNK-110(写真下)は別の機体で存在したので当時のままかもしれない。このスコアマーク、フィリックスが怒った顔で爆弾を投げつけるユニークな絵柄で面白い!
F-4B/J時代のVF-31は尾翼に大きな赤いベルトを入れ、当時の母艦USSサラトガで活躍したCVW-3の”AC”レターを黒文字で大きく描いていた。フィリックス君は胴体にに比較的小さく描かれていたが、レードームが真っ黒に塗られていた為、非常に赤黒のコントラストが印象に残るマーキングであった。F-4ファントム時代はずっとUSSサラトガを母艦としてベトナム戦争にも参加、1972年5月から1973年1月まで173日間の実戦従事と記録されている。この間1機の損害も無くMig-21を1機撃墜している。
 約18年間F-4を使い続けF-14に機種改変した後、最初の母艦はUSSジョン・F・ケネディで、やはりCVW-3の所属であったためレターは相変わらず”AC”。1985年にCVW-6に移って”AE”のレターに変わるまでイメージはず〜と「VF-31=AC」だったのだ。1992年から 太平洋方面に移動 CVW-14に所属して”NK”のレターをまとい、2007年最後のF-14飛行隊としてFA-18Fに機種を変更する。
2006年オシアナのOHでデモフライトしたVF-31のCAG機、これがF-14の見納めとなる最後のエアショーとなった。AJ-100番機は、過去のCAG塗装の中で最も人気のあった”フィリックス イン ブラックテール”を再現したものであり、尾翼内側にはCVW-8のインシグニアを大きく書き入れている。 
デモフライトを終えた4機のVF-31トムキャッツ達は、観客の前をタキシングして 最後の別れの挨拶である。Mr.Goto氏より送っていただいた一連の写真は、天気にも恵まれたF-14最後のフィナーレを再現してくれる。
Many Thanks Mr.Goto
TAIL MARKING of NK-110

↑ 空母航空団は、CVW-14のままであるが、空母がUSSアブラハム・リンカーンに変わり、VF-31のCAG機も流行のブラックテールになった。この塗装は、後に何かの記念日にはよく使われるデザインとして定着した感がある。

↑ 1990年VF-31のトムキャットもロービジビリティ(低視認化塗装)の波には勝てず、上イラストのようにグレー基調の塗装とはなった。レードームが黒い等オールミディアムグレーのF-14の飛行隊が多い中では、まだまだ目立つ塗装であった。

↑ 1982年のVF-31のF-14A。マーキングは少し変化があり、尾翼のフィリックス君がなくなってコックピット横だけに統一された。レイドームはそのままグロスブラックで、上空では目立つ存在だったであろう。トムキャットを受領した1981年から1984年の年まで搭載されたのはUSSジョン・F・ケネディである。1983年は地中海方面での哨戒任務の際、シリアとの紛争でSAMサイトの攻撃を行ったが、A-7とA-6を1機ずつ失っている。

↑ 1981年の年初からVF-31は、F-14Aを受領し始めた。この時の塗装は、F-4Jのマーキングをそのまま踏襲して 赤を基調とした派手な出で立ちとなっている。フィリックス君は、尾翼の外側とコックピットの下方に書かれ両面で計4か所、下面の整流板の部隊ナンバーは白のシャドー付である。

(NK-101)
TAIL MARKING of NK-101

↑ 上図は、2003年の5月までUSSアブラハム・リンカーンで中東方面、特にイラクでの作戦を終えてオシアナに帰還した際のVF-31のF-14D。この頃VF-31の各機には、出撃マークが書かれていた。このブラックテール機は、オシアナの格納庫で見たが 撮影の機会には、恵まれなかった。

(NK-104)
(NK-102)
赤い尾翼に黒い鼻・・VF-31のオリジナルマーキングである。胴体下のタンクにもフィリックス君が書き込まれて、これから正にデモフライトの為のテイク・オフを開始するシーン。もうオシアナでこの姿を見ることは出来ない。