VF-32
1981年のシドラ湾事件は、まずリビヤが自国に面するシドラ湾内の海域を全てリビヤの領海とすると言うむちゃくちゃな宣言を出したことから始まる。カダフィのこの企みに対し、軍事力を持って阻止したのがアメリカであるが、こうした国際法を無視した勝手な領海宣言を黙認すれば地中海で自由航行できる公海が狭くなるだけでなく、他の独裁国家などもこれに追従する事になりかねないので、国際警察を自負するアメリカとしては頬ってはおけなかった訳だ。

作戦は、空母機動部隊をもって示威的にシドラ湾内での訓練を強行し、リビヤの主張を退けようと言うシナリオで進められた。これに対し、自国の庭と思っていたエリアでアメリカ軍の訓練が始まり、面子がつぶされたリビヤが航空戦力で反撃に出たことが事件の発端であった。

1989年に再びシドラ湾で衝突が発生した、これが第2次シドラ湾事件と言われるものだ。この時は西ドイツでのテロ事件でリビヤの関与が濃厚であった為、アメリカはより強い圧迫をリビヤに対し行っている。アメリカ空母打撃群が、シドラ湾内のリビヤ領海のぎりぎりの海域で強烈な示威的演習を行い、リビヤ空軍機を誘い出したのである。この時も威嚇行動をとるアメリカ海軍の航空機に対し、リビヤ空軍はご自慢のソ連製戦闘機で対処、リビヤ空軍の新鋭機Mig-23を繰り出した。これにVF-32のF-14Aは即座に反撃し見事に2機を撃墜した。この顛末についてアメリカ国内でのテロ報復を恐れてか、1981年のVF-41によるMig撃墜に比べおとなしい報道だった為、記憶に薄い人が多いのではないだろうか。(2021年4月 記)
2005年のオシアナOHは、F-14トムキャットに関してはVF-32所属機のオンパレードといえるショーだった。↑上の黄色い尾翼のF-14は、VF-32がF-14Aを受領した時に施されたオリジナルマーキングを再現したものである。剣の部分が若干色合いが異なるが(当時は尾翼のエッジは無塗装) ガルグレーの機体にこのマーキングで登場した時は VF-32は実に美しい列線を成していただろう。しかし、黄色は実戦ではあまりにも目立ちすぎるため 確か3年もしない内に、このマーキングはロービジタイプに変更されている。長い間、低視認性のマーキングに目が慣れて、今では本ページ冒頭に掲載したF-14の尾翼のマーキングでさえ色が付いているだけで美しい!と思えるようになった。オシアナオープンハウスの際は、この機体がエプロンの一番奥に駐機し立ち入りができなかったため、フニュフニュ君の600mmレンズで捕らえてもらったものだ。実戦的でないマーキングとは言え、美しいものは美しい・・・彼らVF-32のスタッフがF-14A引退前に、こうしてF-14A受領時の美しいマーキングを再現したいと言う気持ちはよく理解できる。。
この飛行隊は、2006年からFA-18Fに機種転換を始め、部隊番号も攻撃を役割に入れたVFA-32に変わった。長い間F-14を使ってきたVF-32もF-14トムキャットの歴史にピリオドを打ったが、振り返ると1975年6月のF-14A装備での初航海(CV-67 USS John.F.Kennedy)から30年間もこの機体を使い続けたのだ。それまでのF-8U-1が9年、F-4Bが約10年で更新になった事を考えると如何にF-14時代が長かったかが判る。
↑ Modex-200番とほぼ同時期にModex-201番/Bu.No.162694が存在した。このModex-201番の方には、ラダーに「SWORDSMEN」の文字が入っており1991年湾岸戦争から帰国した際に「デザートストーム参戦のマーキング」が入れられた。その後アメリカ各地でのショーで上図の機体と同じ形でMig-23のシルエットも描かれていた。この201番のマーキングが下図の1993年のModex-200番のマーキングに引き継がれた

 1993年春頃2代目ブラックテール機として、各地に展示されたModex-200番/Bu.No.162701。尾翼の黄色いラインが1本帯から3本帯に変更されている。同年5月に同じ空母ジョンFケネディ甲板上で真新しい塗装のModex-200番/Bu.No.162690が撮影されているが、マーキングの違いは尾翼の「00」の位置だけで、他は全く同一の塗装であった。この機体の後任かもしれない。

↑ 3つの機体と異なりF14飛行隊の解体が進みModex100番台に変わってからのショーバードで、2003年に確認されたもの。100番台をつけたショーバードは、他に1997年のオシアナオープンで展示されたF-14/Bu.No.161434(ライトガルグレー)も存在したので、これは2代目か3代目に当たると思われる。この機体はB型で、胴体全体がミディアムグレーのブラックテール機、機首にOIF作戦での出撃マーク(投弾数)を入れている。

Wings

↑ シドラ湾でリビヤのMig-23を撃墜したF-14A”Gypsy-202” ジプシー(Gypsy)は、この時以来VF-32のコールサインとして定着した。

2005年9月オシアナのOHに唯一展示されたF-14B/Bu.No.162916。何と憧れのダークブルーテールAC-100であった。最後の最後でゲットできたCAG機、右のサムネールは、機首右側に書かれたマーキング、文字は「Final Gypsy Roll Years of Tomcats」と書かれている。2005年、この部隊はF-14BからF-18Fに転換をするため最後の展示となった。F-14を使用した部隊でもっとも長くこの機体と使った飛行隊の一つで 歴代のCO(飛行隊長)のネームを入れた尾翼のプレートを展示機横に飾っていた。
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↑1991年頃、各地に展示された最初のブラックテール(正確にはダークブルー)の機体で、ラダーにCAG傘下の各スコードロンカラーで5つの剣が並んである。1989年のシドラ湾での成果Mig-23のシルエットが2つ並んで書かれている。但し、この機体と実戦でミグを撃墜した機体は異なる。あくまで飛行隊の代表として展示された機体の為、飛行隊の成果も描かれたという事だ。Bu.No.159611