(2003)
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(2004)
↑ ハンガーの奥にもう一機カラーリングした機体があり、奥まで進んでこれを撮る時間はなかった。手前がAC-401 奥の機体は尾翼にAC-410と書かれているが、Modex400番である。他の機体はエプロンに並んでいたが、この2機だけは非常に大事そうに格納庫に収納されていた。400番の尾翼内側にはCVW-3のインシグニアが入っているが401番機には無いのが、この2機のマーキングの違いで、その他はまったく同じであった。
VFA-105
1972年の北ベトナムに対するラインバッカーU作戦に参加後一度本国に戻ったVA-105は、1973年にA-7Eに更新した。1970年代後半から1980年代に入った頃のマーキング。1970年から1980年の10年間USSサラトガに配属されCVW-3の所属であったので”AC”のテールレターは、すっかりこの飛行隊に定着していた。VA-105の代表的塗装で現在のFA-18になってからも このモスグリーンとイエローのスコードロンカラーは受け継がれている。イラストではA-7Eに装備できよく使われた対レーダーミサイルAGM-45Aシュライクを描いてみた。このミサイル、全長は305cmと小柄。サイドワインダーAIM-9Bが284cmだから 少し大きい程度である。射程は、16キロメートルあり その頃唯一のSEAD(敵防空網制圧)のツールであった。
VA-105は、1952年5月にNASセシルフィールドで編成された攻撃飛行隊で、当初はダグラス・スカイレーダーを装備してスタートした。設立当初の部隊名は”Mad Dogs"と言い、1959年1度解散してしているがA-7Aを装備して1967年11月に復活し再スタートを切り、その時点から部隊名を”Gunslingers"と変更している。この飛行隊もCVW-11に所属してベトナム戦を経験しているが、ボート社が開発した新攻撃機A-7Aにアメリカ海軍は相当の期待を持っていたようで、この頃VA-105を含み新設された攻撃飛行隊は7個にも及んでいる。

1970年にVA-105は大西洋方面の空母航空団であるCVW-3に移り”AC"のテールレターを付け始めたが、このレターが一番この部隊に馴染むのはその期間が長かったせいだろう。1972年には再度USSサラトガの搭載されてベトナム戦に赴くが、1968年から1972年までの戦いで4機のA-7を対空砲火で失っている。
 我々にも何だか馴染みがあるのは、1984年〜1986年までの約二年間に岩国のMAG-12にローテーションで派遣されたA-7Eの4飛行隊の初陣を飾った部隊だからであろう。1985年からCVW-6に移動して”AE”のレターに変わったが FA-18Cに機種変更した現在は再び”AC"のレターを付けてNASオシアナで健在である。まずは美しいフォルムを誇ったVA-105のA-7時代のイラストで紹介しよう。 

部隊が再編成され空母レキシントンで訓練を終えたVA-105のA-7Aは、早速 1968年USSキティホークでベトナム戦に参加、この時は、"NH"のテールレターを付けて実戦デビューした。その後、1972年4月から1973年2月の間USSサラトガに搭載され、再びベトナム戦に投入される事になる。その時のVA-105のマーキングが上のイラストのマーキングであった。機首レイドームからコックピットまでの白いシェブロン、胴体を突き抜けるグリーンの矢印、尾翼の部隊番号などが特徴である。Bu.No.153147のA-7Aは、1972年8月6日に北べたナム ダオマイ付近で撃墜された機体である。パイロットのロイド中尉は脱出して無事であった。

1973年頃のVA-105 400番/CAG機、艦載機航空団司令のCAG機マーキングは、尾翼のシェブロンを、各飛行隊のカラー6色に塗り分けていた。Bu.No.159269と158831は、両機ともCAG機指定されたが機種の”400”はかなり小さく書かれてあった。イラストではベトナム戦でよく使われたクラスター爆弾を描いてみた。
Wings
↑ 2003年オシアナ基地のハンガーに格納されていたVFA-105のFA-18C、ハンガーを閉める直前に撮影をさせてもらったもの。塗りたてのようでピッチなどの汚れがない綺麗な姿である。機首のModex01の下に”GIVE EM HELL"と書き込まれているが、「奴らをぶちのめしてやる!」と言う意味らしい。

↑ 渡辺明さん撮影のFA-18C”AC-402" 空母セオドア・ルーズベルトに搭載されていた1996年〜1997年時期のマーキングでガンスリンガーは覆面をした銀行強盗のようなデザインとなっている。

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