VMA-211
(再会)

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”CF"のレターを付けたハリヤーに出会うのは何年ぶりだろうか・・・おそらく15年ぐらいお会いしていない部隊かもしれない。ウェーキ島の復讐者たちを、今回の嘉手納遠征で運よく撮影することができた。嘉手納への撮影行で私は比較的ハリヤーと縁があって、いつも何らかの収穫を得ていたため 嘉手納に行けば必ず何機かのハリヤーが撮れるなどと言うとんでもない妄想を抱いて沖縄に行くようになっていた。ところが 2008年12月には目の前に多数のVMA-223所属のハリヤーが駐機しているのに、一機も撮れずに終わるなどという冷水を飲んでから運に見放されたようだ。その後、嘉手納でハリアーに会う機会はめっきり少なくなった

2009年3月遠征時は 岩国に配備されたばかりのVMA-211が嘉手納に数機でもいてくれればと小さな期待をしたがそれは裏切られ、エプロンには1機のお姿も無かった。現実はこんなものだ自分を納得させながらも、ハリヤーを撮りたい欲求は募り、嘉手納の空を見上げながらずっともやもやとしていた。2009年3月11日朝 09:56 曇り空の嘉手納上空、私は飛び立っていったF-15C/D F-22Aのお帰りを待って 国道脇で空を見上げ待ち続けていた。2機のシルエットが雲を抜けて目に入った、 F-15が戻ってきたか・・・しかし機影が少し違う・・・しっかり編隊を組んだ2機の機体は細身でF-15ではない、上空をオーバーヘッド ハリヤーだった。 やった〜!!・・・子供のように喜ぶ自分がそこにいた。
2機のペアは、沖合いに展開していた強襲揚陸艦USSエセックスからの飛来であった。HMM-Rainのレターではなく 本来の”CF"のレターを付けてくれていてよかった。1機は、スマート爆弾の模擬弾を両翼に、もう1機はこれを誘導するターゲティングポッドを付けての訓練である。2009年3月11日
2009年3月11日についで翌3月12日にも嘉手納でホットピットの訓練をするVMA-211のAV-8B、USS エセックスから飛来しわずか約20分で給油を終え また母艦へ向かって行った。
嘉手納でホットピットを終え 母艦に向かうAV-8Bの離陸を捉えようとRW/23側で待っていた、これを撮影して夕方4時の便にぎりぎり間に合うかどうかだった。漸く離陸して行ったハリアーを望遠レンズで追ったが、300mmレンズに1.4倍のテレコンをつければデジカメだと600mmぐらいに相当するので、最初にファインダーで捕えた機体に気を取られていたら実は2機編隊で離陸していたのだ・・・・これを知ったのは、上の写真を撮り終えた直後・・・あわててファインダー位置を調整したものの フォーメーション写真は下のような送りぎみになってしまった。。。
2011年4月6日 午前中の3機に引き続き13:20にナイトハリアーが2機離陸した。フォーメーション・テイクオフであったが 2機の間隔が離れすぎて フォーカスに収まらない。しかも 太陽はTOP! 証拠写真程度の物にしかならなかった。只マーキングが新旧2通り有り、並んだ状態で比較できるれば面白かった。
CF-21
CF-01(1993)
CF-06/164116
 (1993)
CF-05/164115

↑ 2010年、ハリアーになって初めて尾翼一面を派手に塗りあげた機体で アメリカ本国のショーでデビューしたが、残念ながらこのマーキングで日本に飛来したことはない。歴代のVMA-211ハイビジ機でもっとも目立つマーキングで、機首Modex01は、黄色のシャドーが太めに書かれている。尾翼の赤、黄は、インシグニアの2色から選ばれたものである。AV-8B Bu.No.165568

↑ 2009年5月5日.恒例の岩国公開日 この日は、久々にAV-8Bの展示フライトが多かった。何とナイトハリアー2機 飛行展示には、レーダーハリアー”CF-00”が使われ 垂直上昇などハリアーの飛行特性を生かした展示飛行が披露された。Funyu君レポート
ネットに公開されたキャンプ・バスチオンで被害を受けたハリアーの様子。
↑2009年のVMA-211所属機の一般的なマーキングで、機体をグリーン系の迷彩からグレーに塗り替えられた後、飛行隊はこのデザインをほぼ踏襲していくことになる。他の飛行隊は胴体後部にVMA-No.を書き込む事が多かったが、VMA-211だけは、尾翼の先端に「AVENGERSの文字を入れるほうを好んだようだ。胴体下のアデン砲は、射撃訓練を繰り返すと図のように排気煙と油がこびりついてしまう。AV-8B Bu.No.165429
最初の2機が降りて約1時間ほど経った11:15、再び2機のハリアーが飛来。この時点では私は、いよいよ岩国から移動訓練に来てくれたか・・などと期待していた。飛来したハリヤーの内 モデックス24番だけは、レーダーハリヤーではなく 往年のナイトハリヤーで混合編成であった。
エンジンをかけたまま給油をするのは引火の危険を伴うが、実戦の場合、給油の度にエンジンを切っていたら敵に反撃の合間を与えるのでもっと危険である。厚木基地にも日本の予算で作られた”ホットピット”施設があるらしいが、嘉手納ではF-15のこうした訓練も行われている。ホットピットと言う単語は、GO NAVYの広江さんから教えてもらった単語であるが、嘉手納でのVMA-211の訓練が正にこれに相当する。

↑    2013年頃のVMA-211のショーバード。星条旗の3色をフランス国旗のように盾のラインで並べ尾翼にライオンのインシグニアを入れているが、飛行隊カラーである黄を何処にも使っていない。機体各所の国籍マークも海軍の古いものを使い、MARINEの文字も細い字体で描くなど、何かの記念を表したものかもしれない。ハリアー時代の最後のハイビジ機となった。AV-8B Bu.No.164553

    22014年強襲揚陸艦マキン・アイランドに搭載されて航海に出た際のマーキングで 尾翼には、海兵隊遠征部隊の統合運用飛行隊HMM-163のテールレター「YP」が入っている。VMM-163は、2011MV-22Bオスプレーに機種交換を終えたばかりの飛行隊で有名な「Evil Eyes」(邪悪なまなざし)である。彼らのマーキングのポイントである「目」がハリアーの機首に書き込まれていた。AV-8BNABu.No.164134は、1999VMA-311として嘉手納に飛来している。

VVMA-211は、1990年6月よりAV-8Bナイトアタック型に機種交換した。
AV-8B
Wings
↑ A-4スカイホークを使った海兵隊の攻撃飛行隊の中で、引退していくA-4Mスカイホークを最後まで使った飛行隊で、機体更新時ハリアーのA型がすでに生産中止になっていた為、最新のAV-8Bナイトハリアーを受領した。19905月にハリアーのB型配備を受けた最初の頃の迷彩塗装。尾翼の付け根に「AVENGERS」の文字を入れ機首に旧国籍マークを書き込んでいる。AV-8B Bu.No.163882

↑ 2004年に確認された司令官指定機で おそらくこの部隊で最初にハイビジで全体を塗装された機体であろうと推測される機体。機首はアベンジャーズの星マークにオリジナルのライオンの徽章が書かれたもの、この後2006年にはラダーのラインの色違いと機首マークを変えたデザインに書き換えられた。。2004年、この時期に海兵隊ハリアーがこうしたマーキングを入れるのは珍しかった。AV-8B Bu.No.165006

胴体後部に白い文字で USS ESSEX VMA-211と書かれている。レーザー誘導爆弾の模擬弾を付けたハリヤーを見るのはこの時が最初であった。 ちなみにナイトハリヤーの方は、黒い文字で艦名と部隊ナンバーを書き込んでいた。
トホホ・・・・もう1機横にいたのね・・・
TAXING OUT OF AV-8B (VMA-211) in YOKOTA AB
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VMA-211は、2012年4月 遠征先アフガニスタンのカンダハル遠征時 イギリス軍管理のキャンプ・バスチオンで タリバンによる基地の襲撃を受け 6機のハリアーを失うという大きな被害を受けた。この襲撃で何と飛行隊長のクリストファー・K・レイビル中佐までが戦死しており、飛行隊で2名の戦死者を出したのだ。アメリカのマスコミは、「ベトナム戦のテト攻勢以来の最悪の被害」と書き立てた。タリバンの計画は周到で 事前にこの基地に駐留しているイギリスのハリー王子の殺害を予告していた。その為 アパッチ攻撃ヘリなどを配備し警戒していたが 米軍陸軍の制服を身にまとった15名の重武装タリバン戦士は3チームに分かれ基地の同時攻撃に成功している。ハリアーの駐機していたハンガーと3つの燃料補給処が同時に攻撃され被害を受けた。レイビル中佐は、AV-8Bでの飛行時間2000Hを超えるベテランで、飛行隊長を務める前はユマで3年間航空機の武器関係と戦術の教官を務め日本やイラクにも派遣されていた。3人の子供と奥さんを残しての戦死である、ご冥福を祈りたい。
↑ 2011年春 嘉手納に8機が展開したVMA-211のハリアー、私が嘉手納訪問した4月4日と5日は全く飛ぶ気配がなく 今回もハリアーに見放されたか・・と落ち込んだ。地元友人のWさん曰く「昨日 全機タンク付けたから そろそろ岩国に帰るんじゃない」 でも何時帰るの??これも運である。帰宅を予定していた6日の朝漸く運が向いてきた。朝からハリアー周辺の動きが激しい。遂にラジオに岩国へのクリアランスが出たという情報。ラッキーである!そうであれば撮影のチャンスは1度だけ、早速ポジションを変え離陸の撮影に急ごう。朝から晴天の大空、しかし一瞬太陽に雲がかかったその時だったフォメーションの2機は上がっていった。。