VMA-214
「Baa Baa Blacksheep」と言う映画をご存知だろうか、1978年3月嘉手納での写真撮影を終え ホテルに戻ってFENのテレビ放送にチャンネルを合わせたと時 丁度この映画の放映予告があり 早速映画を見ることにした。当時の嘉手納周辺のホテルは、米軍が運用する極東放送のテレビも見ることができた。

時を同じくしてVMA-214 blacksheepsのA-4Mスカイホーク攻撃機が移動訓練で嘉手納を訪れていたため 映画のタイトルを見た私は、A-4スカイホーク部隊のニュース映像かと思い込んでいた。映画は、太平洋戦争中に活躍したこの部隊のF-4Uコルセア戦闘機と初代飛行隊長のパピーことボニング中佐を題材としていた。本国では連続テレビ番組になるぐらいの太平洋戦争中に大きな戦果を挙げた部隊らしく いまだに部隊徽には、コルセアがあしらわれている。私は、スカイホークのマーキングで最も好きな飛行隊であった。 
Wings
「VMA-223の去った後にこの部隊がくる」と横須賀の某有名なパッチ屋さんで聞いた私は、このまま厚木で待っていてもVMA-223同様ほとんど撮れずに終わってしまうだろうと 嘉手納遠征を計画 1978年の3月だったが 天気が悪いのとまだ肌寒い沖縄で「ブラックシープ」を待ちわびた。丁度 今では航空写真家として有名なT.K氏とこれまた某航空雑誌の編集長になられたM..I氏(お二人とも私と同じ年で当時学生だった)が来ており 根城が同じ”日の出ホテル”だったため行動を共にさせていただいた。チームスピリット78の関係でAC-130Hなどの外来機やその頃フィリピンのクラークに配備されたばかりのアグレッサ−のF-5Eの初飛来など私にとって予定外の収穫はあったが、滞在費が底をつきかけても一向に現れないブラックシープに「もう駄目か」と諦めかけていた。帰る日が3日後に迫った頃 岩国から次々に移動訓練に黒羊君たちが訪れ始めた。T.K氏も「来週から訓練だな もう少し居たいな」と・・・私ももう少し撮りたいと後ろ髪を引かれる思いであったが 財布の中身の現実には逆らえず沖縄を後にした・・こんな思いでのある部隊である。 
A-4M時代のヘルメットは、黒地に白い羊角をあしらったもので統一されていた。
A-4M
AV-8B
The Blacksheep were the first A-4 squadron to fly 30,000 accident-free hours and achieved six years accident-free flying.
   単発機としては、すごい記録と思いませんか・・・・
VMA-214は、1989年6月にAV-8Bに機種交換し 海兵隊で最初のナイトアタック・ハリアーSqになった。しかし 私はナイトアタックAV-8Bを殆どあまり目にすることなく 2002年にはAPG-65レーダーを付けた鼻の長いレーダー・ハリアーとなって日本を訪れた。下は2002年横田OHでのAV-8Bであるが、レターはET-52、機首のBlack-Sheepは、かなり形の崩れた黒羊君である。(目が赤い)
強襲揚陸艦エセックス級1番艦 USS エセックスにHMM-262(RAIN)に分遣隊として搭載されていたもので”ET”のテールレター
1965年にA-4スカイホークを受領して 程なくヴェトナム戦に参加 約2年間に5000回以上の出撃をしている。
WE-455(160029)
WE-452(160043)
WE-461(159784)
WE-454(160033)
WE-465(159790)
(1992)
(2002)
前回撮影できたのが2002年、私が某国幽閉(?)となった年である。あれから5年の年月がたった。軍用機撮影においては正に失われた5年か・・・2007年の嘉手納で WEのレターをつけて飛んでくれたAV-8Bは、嘉手納での過去の思い出を蘇らせてくれた。ここで再びあえるとは思ってもいなかった。
今回の沖縄でこいつが撮影できたのが 最大の収穫と言えよう。A-4M時代の尾翼を彷彿させるブラック基調のマーキングになっていようとは、夢にも想像していなかった。事前情報が何も無い中 滞在最後の2007年12月11日に飛んでくれた。A-4Mの時代に尾翼ラダーを黒く塗り星をちりばめたマーキングは、尾翼全体に広がり 燃料タンクも黒で部隊名が入っている。機種には、部隊インシグニアをカラーで書き込んでいて これまたセンスの良いマーキングと思う。黒羊の頭が無いが これだけドレスアップすると 書き込む場所が無い、反ってくどくなってしまうかもしれない。
嘉手納を良く訪れる友人曰く「ハリアーは、最近ランディングが高くて 絵にならない、かえって離陸のほうが低いぐらいだ」・・うむ 昔からハリアー君のランディングにはよく泣かされたが だからといって嘉手納では離陸が撮りやすいともいえない。何せ音が小さいので 木立の向こうから飛び出てくるハリヤーに一瞬のタイミングを合せるのが難しかった。絵になったのはこのWE-02だけだった。トホホ・・・
お笑い話を一席、今回の沖縄行では、最後のKR-64を消化する為 EOS-3と オマケにとしてデジカメの可愛いEOS−Kissを持っていった。デジカメはあくまで補助機器のつもりであったが 結果的には嘉手納での主力機器になっていた。嘉手納の初日12月10日、前日の那覇航空祭の後 デジカメの電池充電を怠った私は、嘉手納での撮影でKR-64を使いきり デジカメの電池もなくなってしまったのだ。今更フィルムとも思ったが 他に方法も無い。仕方なく友人にカメラ店の場所を教えていただき 車で向かった。 カメラの専門店”キタムラ”の場所が分からず コンビニに立ち寄ることとなる。コンビニの店長に場所を親切に教えていただいたもので お礼にネガカラー(ISO-400)を1本買ってしまった。カメラ専門店で2本のリバーサルフィルムを購入して 撮影を継続したが 次々に舞い降りるFA-18にこれも消化してしまい またフィルムが無くなった・・・あ〜ぁ。夕暮れも迫っており せっかく買ったネガカラーでも入れておくか、とカメラに装填し海岸風景などを撮っていたところ 2機のハリヤーが帰ってきたのだ。それは、今回撮れていなかったWE-04とWE-07である。とりあえずネガカラーに収めたものの 現像して見てがっかり・・やはり相当時代遅れのものだと実感。写ってはいるものの とっても淋しい画像であった。(2007/12/30記)
海兵隊最初のナイトアタック・ハリアーになったVMA-214、A-4Mスカイホークの時代 多少はチャンスに恵まれたこの部隊も ハリアーになってから ほとんどご無沙汰状態で レーダー・ハリアーになるまでまともな写真がほとんどない。たまたま 渡辺 明さんがアメリカで撮影されたスライドをいただいたので ご覧いただきましょう。マリングレー迷彩になった後の機体ですが WE-19.20は、アリゾナ州ルーク空軍基地での撮影だ。特にWE-20は、ほとんど所属部隊がわからないほど 徹底したロービジで僅かに機首のインシグニアと薄いテールレターだけが 判別できるポイントだ。
WE-20は、シリアル”163194” WE-19は、とっても薄いので読みずらいが”163193”に読める。海兵隊は、1985年と1986年にそれぞれ32機のAV-8Bを発注しているが 上の2機は、86年度予算発注分で 通常型のハリアーB。ナイトアタック・ハリアーは、1989年度予算で発注された24機”163853”からなので 古い機体を受領して運営していた時期もあったのだ。そう言えばナイトアタック・ハリアーの特徴である機首のこぶがないですね。 
ハリアーU・プラス所謂レーダーハリアーになって以降 2005年11月にVMA-214は、ハリアーの部隊としては初めて強襲揚陸艦でJDAMの運用した。テストは強襲揚陸艦ペリリューにおいてで これを成功させ天候に関係なくポイント爆撃が可能になった。
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上の写真(2007年)から9年後の2016年嘉手納である。久々にブラックシープのハリアー4機が訓練で来ていた。1機が離陸した後、10分以上の間隔をあけてもう1機が離陸 45分程度のフライトを終え 時によっては2時間近いのフライトを行い戻って来た。いつも通り 素直に撮らせてくれない連中である。
2016年1月19日13;30分 R/W05 Right Take-off!! 1月18日は、フライトなし 19日(火)午後からのおっとり刀で訓練開始。しかも 1機めの”WE02”は、05Leftで離陸 急いで移動したら 2機めの”WE01”は、Rightで離陸してくれたため  またもや真横を撮りそこなう。
離陸を外した私は、急いで「砂辺」方面に移動 着陸をしっかり押さえる準備で構えていた。45分後 まず降りてきたのは、”WE01”隊長機である。オーバーヘッド・・グレーク・・Left側への着陸と思いきや どんどんRight側ランウェイへ大回り 慌てて走って撮影ポイントギリギリの地点に辿りついたら 機首を再び Left側に向けて そっちへ降りた。よって”WE01”再び沈没である。続いてきた”WE02”は、素直にLeftに降りてくれたが バカ高いハリアーランディングである。あ〜ぁ・・・溜息・・
2日目 2016年20日 朝からF-18Cの着陸を取るため 砂辺展開。ハリアーの離陸が目に入った。しかし 2時間待っても帰って来ない・・・強襲揚陸艦に戻ったか 岩国に帰ったか・・・諦めて帰りかけたら1機が戻って来た。距離が遠すぎる!! 何とか写真にはなったが 理想的ではない。2機目は、少し距離を縮めたので 多少まともな写真となった。エアバンを持っていない私(昔は、使っていました)にとっては、ハリアー君は実に撮りにくい存在。
下写真は、2016年5月3日 厚木で撮影されたAV-8B 2機。 photo by H.Funyu
AV-8B VMA-214,WE-01 Bu,No,165580 & WE-03 Bu,No,165585 上の写真WE-03も フニュフニュ君撮影である。
そして 厚木にも飛来した色の薄いAV-8B VMA-214,WE-016 Bu,No,165429