上写真2枚 VL-05とVL-14は、1989年11月19日 芦屋基地にて撮影。
VMA-331
Wings
AV-8Bに機種交換後VMA-331が、岩国に始めて飛来したのは1989年6月10日。梅雨入りしどんより曇った岩国の空から、彼らは次々にランウェイに舞い降りた。前任のVMA-211のA-4Mに替わりMAG-32から6ヶ月のローテーションで AV-8B部隊としては初の来日であった。何と20機という空軍スコードロン並みの定数で岩国に配備されたのである。
VMA-331は、1943年にMCASチェリーポイントで創設された飛行隊で ダグラス ドーントレス急降下爆撃機を使っていた。その後F4Uコルセア戦闘機に更新したが、ダグラススカイレダー、ダグラス スカイホークとダグラス社の飛行機の受領を受けることの多かった部隊である。
1985年にVMA-331がAV-8Bを受領して1年ぐらいまでは、下面をライトグレーに塗っていた機体が多かったが その後 オーバーラル・マーキング(全面迷彩色)に変更統一された。
VL-04 (1989/8)
1981年11月5日、アメリカのマグダネル・ダグラス社AV-8Bが初飛行した。従来のA型と比較し兵器搭載量/航続距離が2倍と言う性能に完成当初は「AV-16という呼称が付くらしい」と言う程の高性能化が実現できた機体である。この大きく進歩したハリアーUを最初受領したのが、VMA-331(バンブルビース)ある。
VMA-331は1985年の春にこの新しいハリアーの配備を開始し、B型として始めて岩国に派遣されたのもこの部隊であった。テレビの報道番組で映し出される”爆弾する蜜蜂”たちの岩国初飛来シーンに、私はかじりつきとなった。テレビ画面の中でハリアーは7〜9機が滑走路の手前で隊列を組むように降りてくる衝撃的なハリヤ−ランディングであった。ハリアーランディングとは、着陸時ランウェイ手前でジェットの噴射ノズルをほぼ垂直に近い方向に向けながら、前後の機体が距離を縮めて一気に降りてくることを指している。後々我々マニアは、違った意味でこのハリアーランディングに悩まされる事になるのだが、5機-6機と間隔を空けずに連なって降りてくる姿は、まさに花に群がる蜜蜂の如くであった。残念ながらこの蜜蜂君たちも軍縮の嵐には勝てず最初に解散したAV-8Bの部隊になってしまった。
VMA-331はA-4M時代にも岩国に駐留していたが、私は、就職したばかりで仕事の都合上、撮影のチャンスは殆どなかった。しかしAV-8Bに代わって日本に飛来した時期は仕事にも余裕があって、それまでより多くの撮影チャンスを得る事が出来た。特に築城/芦屋など九州地区の航空祭にはよく展示された為、丁度山陰地方(松江)に転勤で住んでいた私にとっては都合が良かった。九州各地でこの新型ハリアーを十分堪能できた事は運が良かったと思う。只ダークグリーンとダークグレーのオーバーラル迷彩にこの小さなマークでは、近くからでないと何が描いてあるかまったく識別できない。しかもロービジ・マークの蜂は灰色で表現されるので 「ハエ」に見えてしまう人も多かったのではないだろうか・・・・・
AV-8B
(1989)
(1989)
(1989)

↑1985VMA-331がハリアーUの最初の実戦部隊としてスタートした頃のマーキングで 下面が白いのは、試行的な意味合いもあったと想像する。所属機全機がこのような下面を明るいホワイトグレーで塗装していたかは不明だが、しばらくして下面まで迷彩塗装が施されたようで この塗装の写真は極めて少ない。  Bu.No.162074

↑ 1989年アメリカ海軍の当時の新鋭強襲揚陸艦USSベローウッドに搭載され 統合遠征部隊(Rein)として活動していた頃のマーキングで グリーン系の2色の他 エンジンナセル、主翼前縁、パイロン前縁などに明るいタン色が加わって複雑な迷彩となっている。機首には、HMM-163のテールレター“YP”と“邪悪な目“と鮫口?が描かれ、珍しいマーキングとして雑誌でも取り上げられた。Bu.No.162077

↑ VMA-331は、日本では1989年に岩国展開したため、マニアにより多くの写真が撮影されているが、塗装例は当時統一されたグリーン系のオーバーラル塗装のみであり 湾岸戦争後の1992年位解散したため、マーキングの事例が少ない。ちなみに湾岸戦争では、この飛行隊のVL-11,VL-14が撃墜され 2名が戦死している。イラストのグレー塗装は、湾岸戦争前に施されたと思われる珍しいケース。この機体は、湾岸戦争時には、VMA-542へ移管されWH-40として参加している。Bu.No162069

1989年7月23日 岩国基地 MCAS IWAKUNI
1983年1月24日 当時チェリーポイントのMAG-32に所属していたVMA-331は、A-4Mから新鋭のAV-8Bに転換を始めた。”ハリアーU”の海兵隊最初の飛行隊であるから 当然注目の的であったが 彼らは21名のパイロットと15機のAV-8B”ハリアーU”で転換任務を開始した。2年半後の1985年8月には、クロフォード中佐のもと 完全なる作戦遂行の能力を持ったハリアー部隊に仕上がったとされる。1987年1月から 強襲揚陸艦ベローウッドで 初の海外展開を経験 1989年6月に岩国展開である。私は、われらが来るのを指を数えて待っていたが 先代のAV-8Aに比べ重厚感のあるB型は、結構絵になる被写体であった。
VL-12 (1989)
HOME