VL-12 (1989)
1989年7月23日 岩国基地 MCAS IWAKUNI
VMA-331

(1942〜1992)

Wings

↑1985VMA-331がハリアーUの最初の実戦部隊としてスタートした頃のマーキングで、下面が白いのは試行的な意味合いもあったと想像する。所属機全機がこのような下面を明るいホワイトグレーで塗装していたかは不明だが、暫くして下面まで迷彩塗装が施されたようで、この塗装の写真は極めて少ない。  Bu.No.162074

VMA-331は1943年にMCASチェリーポイントで創設された飛行隊で、創設時はダグラス ドーントレス急降下爆撃機を使っていた。その後F4Uコルセア戦闘機に更新し、太平洋方面に配備された時は、米軍が丁度ギルバート諸島攻略を行う時期にあたり、ツバル諸島のヌクフェタル飛行場に展開して、タラワ戦、マキン戦に参加したが、タラワ攻略後はタラワ島に基地を移して活動している。当時は、第331海兵戦闘爆撃機中隊(VMBF-331)と呼ばれていたが、第二次大戦終了と共に部隊は解散となった。しかし朝鮮戦争勃発を契機に再び編成され、主にカリブ海方面での作戦任務に就くことが多く、特にキューバ危機に置いてはこの部隊が駆り出されている。飛行隊の歴史を見るとドーントレスからダグラススカイレダー、ダグラス スカイホークとダグラス社の飛行機を運用することが多かった部隊である。1959年A-4Dを受領後は、カリブ海方面の活動から空母に搭載されて地中海方面まで活動範囲が広がっている。
1985年にVMA-331がAV-8Bを受領して1年ぐらいまでは、下面をライトグレーに塗っていた機体が多かったが その後 オーバーラル・マーキング(全面迷彩色)に変更統一された。
AV-8Bに機種交換後VMA-331が、岩国に始めて飛来したのは1989年6月10日。梅雨入りしどんより曇った岩国の空から、彼らは次々にランウェイに舞い降りた。前任のVMA-211のA-4Mに替わりMAG-32から6ヶ月のローテーションで AV-8B部隊としては初の来日であった。何と20機という空軍スコードロン並みの定数で岩国に配備されたのである。
1983年1月24日 当時チェリーポイントのMAG-32に所属していたVMA-331は、A-4Mから新鋭のAV-8Bに転換を始めた。”ハリアーU”の海兵隊最初の飛行隊であるから当然注目の的であったが、彼らは21名のパイロットと15機のAV-8B”ハリアーU”で転換任務を開始し、2年半後の1985年8月にはクロフォード中佐の元、完全なる作戦遂行の能力を持ったハリアー部隊に仕上がったとされる。1987年1月から強襲揚陸艦ベローウッドで初の海外展開を経験、1989年6月には岩国展開である。私は彼らが来るのを指を数えて待っていたが、先代のAV-8Aに比べ重厚感のあるB型は結構絵になる被写体であった。
1989年7月23日 岩国基地 MCAS IWAKUNI
VMA-331はA-4M時代にも岩国に駐留していたが、私は就職したばかりで仕事の関係上関東地区から離れたせいで、撮影のチャンスは殆どなかった。しかしAV-8Bに代わって日本に飛来した時期は時間にも余裕があって、それまでより多くの撮影チャンスを得る事が出来た。特に築城/芦屋など九州地区の航空祭にはよく展示された為、丁度山陰地方(松江)に転勤で住んでいた私にとっては都合が良かった。九州各地でこの新型ハリアーを十分堪能できた事は運が良かったと思う。只ダークグリーンとダークグレーのオーバーラル迷彩にこの小さな部隊マークでは、近くからでないと何が描いてあるかさえ、全く判らない。しかもロービジ・マークの蜂は灰色で表現されたので 「ハエ」に見えてしまう人も多かったのではないだろうか・・・・・
AV-8B
A-4M
(1989)

フニュ君撮影のVMA-331所属のA-4M。何れも厚木基地でのショットである。

198911月 築城基地 Tsuiki AB
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VL-04 (1989/8)
1989年8月 横田基地 Yokota AB
(1989)
(1989)