VMA-331

(1942〜1992)

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VMA-331は1943年にMCASチェリーポイントで創設された飛行隊で、創設時はダグラス ドーントレス急降下爆撃機を使っていた。その後F4Uコルセア戦闘機に更新し、太平洋方面に配備された時は、米軍が丁度ギルバート諸島攻略を行う時期にあたり、ツバル諸島のヌクフェタル飛行場に展開して、タラワ戦、マキン戦に参加したが、タラワ攻略後はタラワ島に基地を移して活動している。当時は、第331海兵戦闘爆撃機中隊(VMBF-331)と呼ばれていたが、第二次大戦終了と共に部隊は解散となった。しかし朝鮮戦争勃発を契機に再び編成され、主にカリブ海方面での作戦任務に就くことが多く、特にキューバ危機に置いてはこの部隊が駆り出されている。飛行隊の歴史を見るとドーントレスからダグラススカイレダー、ダグラス スカイホークとダグラス社の飛行機を運用することが多かった部隊である。1959年A-4Dを受領後は、カリブ海方面の活動から空母に搭載されて地中海方面まで活動範囲が広がっている。

↑ 工場を出荷された直後の1971年から1978年まで、同飛行隊に所属してModex-5番を付けていた。本飛行隊の当時の本拠地はMCAS チェリーポイントである。1978年9月撮影

↑1976年9月にメリーランド州NASパクセントリバー撮影されたVMA-331のA-4M。この機体は、1972年に同部隊に配属され1978年迄居たとされる。その後VMA-214等部隊を転々と動き、最後は、VMA-211に所属した。

↑ 1978年9月に撮影されたVMA-331のA-4M。この機体は、1981年9月日本の岩国基地配備中に岩国基地の北西の山岳域で墜落したと記録されているが・・・私は山に墜ちた事故の記憶がない。乗員のジョージ・パナスク中尉は幸いな事にエジェクトして無事であった。

↑ 1975年4月 NAS ペンサコラで撮影されたVMA-331のA-4M。1981年にはModexは21番に変更されている。

↑ 元は、ユマ海兵隊基地を拠点としていたVMA-324 Devil Dogから移管された機体である。1975年5月ビューフォート海兵隊航空基地にて撮影されたもの。

↑ 1979年4月ディビスモンサン空軍基地で撮影されたVMA-331のA-4M。後に日本の横田基地で撮影された本機は、同一塗装でレターを”WP”に換え、Modex-7を付けていた。

↓ 下写真2枚は、フニュ君撮影のVMA-331所属のA-4M。何れも厚木基地でのショットである。

A-4M / Bu.No.158182

A-4M / Bu.No.158151

A-4M

↑ 1976年8月 マイノット基地で撮影されたA-4M

A-4M / Bu.No.158182

A-4M / Bu.No.158153

↑1976年9月に撮影されたVMA-331のA-4M。この機体は、1971年に同部隊に配備され1974年までModex-19を付けていた。現在は、デラウェア州NASウィローの歴史航空協会に保存されているとされる。

↑ 第2海兵航空団の司令官機に指定されModex-000を付けた機体。1980年撮影

A-4M / Bu.No.158167

A-4M / Bu.No.160262

Wings

A-4M / Bu.No.158181

A-4M / Bu.No.158416

A-4M / Bu.No.158167

A-4M / Bu.No.160247