↑ 一段上の写真と同じVK-7であるが、1979年6月に撮影されたVMA(AW)-12の1A-6E/Bu.No.154132。レードームは、クリーム色の標準塗装(と言うより、むしろ原材料そのままの無塗装が正しい)になっている。
VMA(AW)-121グリーンナイツは、太平洋戦争勃発の半年前である1941年6月にVMF-121として誕生している。1941年の6月は、ドイツ軍ソ連侵攻のバロバロッサ作戦が開始された月である。同年12月に、日本海軍は真珠湾を奇襲しているので、正に大戦に向けて創設された飛行隊になってしまった。F4Fワイルドキャットの配備を受けて太平洋戦争中はガダルカナル島を中心に、ソロモン諸島方面の防衛と日本に対する艦船攻撃に際し 攻撃隊の護衛任務を行った。この間 戦闘機部隊として14人のエースを輩出するなど多くの戦果を上げたと言われている。米軍のぺリリュー島占領後は、そこを拠点として活動している。A-4を使用後 1969年に全天候型攻撃機A-6を受領し 部隊名もVMA(AW)-121となった。A-6Eになって岩国に配備されたのは1976年の5月で、尾翼に建国200周年記念の帯を入れた派手な姿で我々を楽しませてくれたが、1976年末までにはこの帯は消されてしまった。1989年12月FA-18Dを受領しVMFA(AW)-121に部隊ナンバーが変更されている。
↑ 1983年4月アメリカ本国で撮影されたVMA(AW)-12の1A-6E/Bu.No.155689。すっかりロービジ・スタイルに変更されている。
↑ 古い写真だが、1975年8月グリフィス空軍基地で撮影されたVMA(AW)-12の1A-6E/Bu.No.154132。レイドームが白く塗られている。
VK-00/159179
↑ 1976年7月2日横田基地航空祭に展示されたVMA(AW)-12の1A-6E/Bu.No.155638
↑ 1978年3月嘉手納基地をR/W05Leftに着陸するVMA(AW)-121のA-6E。3月はModex350~356番までの機体が入れ替わり、嘉手納で訓練を重ねた。。
↑ 1978年3月嘉手納基地をR/W05に着陸後、滑走するVMA(AW)-121のA-6E。
↑ 1978年3月嘉手納基地をR/W23で離陸の為滑走するVMA(AW)-121のA-6E。空母運用の為、Modexは三桁の350番台。
VK-350/152931
VK-352/155589
VK-353/155638
click here
↑ 1981年7月5日横田基地航空祭に展示されたVMA(AW)-12の1A-6E/Bu.No.159179
↑ ↓ 1980年3月MCAS Yumaで撮影したVK-4、1977年の横田基地の展示機と同じシリアルであった。
VK-4/155638
上の図は、A-6Aを使用していた時代のマーキングで グリーン・ナイツのネーミングの通り チェスのナイツをラダーに書き込んでいた。1977年岩国に飛来した時は、全機 国旗を模したバイセンティニアル・マーキングであったが、すぐに消され 下図のようなマーキングになっている。チェスのナイツはよりリアルになって大きく書かれるようになった。
This Squadron has received numerous awards to include; the Chief of Naval
Operation's Safety Award for 1960, 1977, 1981, 1982 and 1989, the Commandant's
Aviation Efficiency Trophy in 1960, and Marine Attack Squadron Of The Year
in 1979.
↑ 1980年5月18日アメリカ本国で撮影されたVMA(AW)-12の1A-6E/Bu.No.159570
VK-4/155638
A-6E