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VMA(AW)-121のA-6Eが岩国基地に展開したのが、1977年5月と言われる。その年の7月に横田基地で建国200周年記念の美しい機体を目にした私は、厚木基地で随分彼らを待ったが、グリーンナイツのA-6Eが飛来することは非常に少なく、アルバイトをして嘉手納展開を計画した。翌年3月漸く嘉手納展開を果した私の前に現れた同隊のA-6Eは何と機首番号(Modex)を3桁の番号に変え、建国記念の尾翼の帯は既になかった。しかし、尾翼が白いだけで魅力は充分である。本項では1978年以降のVMA(AW)-121のA-6Eの様子をお届けしたい。
↑ 一段上の写真と同じVK-7であるが、1979年6月に撮影されたVMA(AW)-121のA-6E/Bu.No.154132。レドームは、クリーム色の標準塗装(と言うより、むしろ原材料そのままの無塗装が正しい)になっている。
↑ 1980年5月18日アメリカ本国で撮影されたVMA(AW)-121のA-6E/Bu.No.159570
↑1980年2月 アリゾナ州ユマ海兵隊基地で撮影したVMA(AW)-121のA-6E/VK4。こんな遥々アリゾナの砂漠まで来て、撮影できたA-6Eは、1976年の横田基地で撮った同じ機体1機だけだった、ちょっと悲しかったが撮れただけでもよかったと思わねば・・・
↑ 1978年5月の岩国基地航空祭に展示されたVMA(AW)-121のA-6E/VK-364。元は”VK-12”と書かれた機体だった。この機体は、後にKA-6Dに改造され、VA-185所属機として厚木の空を飛んでいる。
↑ 1978年3月嘉手納基地をR/W05Leftに着陸するVMA(AW)-121のA-6E。3月はModex350~356番までの機体が入れ替わり、嘉手納基地で訓練を重ねた。。
↑ 1978年3月の沖縄は特に寒かったのを覚えている。特に夜は毛布1枚では寒くて寝られないような気温で、ジャンバーを持って行かなかったのを後悔したが、ご覧のように風向きは夏のようにR/W-23になる日もあった。10日ぐらい嘉手納に滞在し、日の出ホテルと言うラブホの様な旅館に泊まっていたが、この間に350/352/353/355/356等のA-6Eが飛来している。因みにこの日の出ホテル、2026年の現在でもまだ存在するのである。(2026年5月 追記)
↑ 嘉手納基地で飛行訓練をするVMA(AW)-121のA-6E/VK-350。この機体はそれまでModex VK-00を付けていた機体である。
↑ R/W05で着陸してエコータキシーウェイから海軍機エリアに戻るA-6E/VK-353/Bu.No.155657。タンデムシート(並列座席)の良さは、2名のクルーの意思疎通が早く、作業効率が非常に高かったそうである。1名は操縦、もう1名はレーダー監視、航法装置、攻撃用システム操作を担当していたが、操縦担当が倒れた時は操縦も行う事が出来た。
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