VMFA(AW)-242
↑ 1978年6月にエルトロ海兵隊航空基地で撮影されたVMA(AW)-242のA-6E/Bu.No.155606。恐らくE型にアップグレードされた直後の様子ではないかと思う。この機体は1981年まで同隊に所属していたようである。
1976年に厚木で写真を撮り始め海兵隊機にも大きな憧れを持った私にとって、岩国に配備されるA-6部隊の動向は常に大きな関心事項であった。WK/VK/EAのA-6を追って嘉手納行脚を繰り返したが、結局私の学生時代に岩国基地派遣のローテーションに回ってこなかったのが、VMA(AW)-242とVMA(AW)-533だった。”ED”は後に何機か撮影できたが”DT”は確か1機しか撮る事が出来ずA-6E時代は私には縁の無い部隊だった。FA-18Dになってからは、逆にシャッターチャンスに恵まれるようになって有難い存在に変わった。この部隊のFA-18Dが初めて岩国配備になった時は、00番のみ電光を黄色で塗っており他の機体はグレー色だったが、それでも黄色い電光の隊長機が撮れただけで嬉しかった。それが最近は、ショーバードの派手なマーキング等、マニア好みの衣装を纏い話題になる事が多い。 ラテン語”MORS EX TENEBRIS”は、「暗黒からの死」を意味する。
↑ 1980年10月にエルトロ海兵隊航空基地で撮影されたVMA(AW)-242のA-6E/Bu.No.155606。この写真が撮影された月に同隊はA-6Eになって初めての岩国基地派遣となり、半年間の日本での駐留が始まった。
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↑ 1981年6月にエルトロ海兵隊航空基地で撮影されたVMA(AW)-242のA-6E/Bu.No.152931。1977年代のシンプルなスタイルに戻っているが、ラダーのバットは、獲物に襲い掛かる姿に描かれた。このマーキングは後にFA-18Dのスペシャルマーキングでも再現された。
↑ 1977年9月にエルトロ海兵隊航空基地で撮影されたVMA(AW)-242のA-6A群。手前はDT-14/Bu.No.157014。奥のDT-15は、ビューアルナンバーの切が良い Bu.No.157000と思われる。157000番台は、1970年に軍に納入されているA型。
A-6E時代、 1岩国に配備された時の派手なマーキング。電光が初めてラダーに書き込まれた。
Wings
A-6Eに変更になった当時のラダーのマーキング。
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DT-3/154169 (1984)
↑ 一段上の写真から2年後の1978年6月に、同じエルトロ海兵隊航空基地で撮影されたVMA(AW)-242のA-6E/Bu.No.155606。
↑ 1977年9月にアメリカ本国で撮影されたVMA(AW)-242のA-6A/Bu.No.155687。1969年に本機が軍に納入されて最初に配備されたのが同隊で、1980年にE型に改造後は海軍航空隊に移管されて空母で運用された。
↑ 1975年7月4日に撮影されたコックピット後方に大きなバッドを描いた古いマーキングのA-6A/Bu.No.155621。この機体はE型にアップデートされた後、一旦VMA(AW)-533へ移動、その後1984年再び同隊に配備されている。
↑ 1985年12月に岩国基地で撮影されたVMA(AW)-242のA-6E/Bu.No.155615。A-6Eとなってから岩国派遣4回目の姿である。1984年の3度目の岩国派遣時に既にこのデザインとなっていた。尾翼のバットはロ-ビジながら大きくリアルに描かれている。
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↑ 1980年11月築城基地に展示されたVMA(AW)-242のA-6E。このフルカラーのバット君が航空祭に展示されたことを私は知なかった。背景には空自のT-33が並んでいる。A-6A~E時代 ベトナム戦で ダナンを基点に 16783ソティの作戦をこなし、8万6000トンの爆弾等を投下していると言うから凄い”強者ども”である。
A-6A時代最後のマーキング。バットの位置は、コックピット後方になっているが、ラダーに入っていた時代の方が長い