VMFA(AW)-242
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2008年頃各航空祭に参加した海兵隊航空部隊のクルー達のパイロットスーツはどれも砂漠迷彩か砂漠色のカーキ色であった。これはVMFA(AW)-242部隊もしかりで、彼らは2004年のイラク解放戦争から中東への展開を行っていたからである。砂漠に溶け込むカーキ色は、万一故障や撃墜されてベールアウトした際に、捜索の敵兵から身を守り、味方の救助を待つうえで重要な役割を果した。

↑ 2009年岩国基地航空祭に展示されたFA-18D/DT-12の左翼に懸架されていたJSOW誘導爆弾。

同隊の歴史を今一度振り返って見よう。VMFA(AW)-242は歴史が古く、創設は太平洋戦争後期の1943年7月に遡る。海兵隊最初の全天候飛行隊としてTBFベンジャー雷撃機を配備され、エル・セントロ基地で教育訓練を受けた上で太平洋戦争に参加している。太平洋戦争では、ニューギニア戦線からサイパン島・テニアン島といった日本軍守備隊が守る孤島の攻略、最後には硫黄島攻防戦に参加しているので、日本と関連の深い飛行隊だ。

1960年10月にはA-4Dスカイホークを受領、1964年の初めにA-6Aイントルーダーを受領しているからA-6A/E時代はかなり長い。ベトナム戦争では、南ベトナムのダ・ナン空軍基地をベースに出撃を繰り返し、特にケサン攻防戦では、ローリングサンダー作戦の一翼を担った。エル・トロ海兵隊航空基地所属時代の1990年12月に、長い間使用し続けてきたA-6EをVA-128に移管し、F/A-18Dに機種交換して現在に至る。それまで岩国に配備されていたVMFA-212ランサーに換わり岩国に常備される部隊となるので暫くは、撮ることができるだろうとマニアは喜んだ。その第一陣は2008年3月10日に飛来している。オカルト映画の主人公になることの多いコウモリ君、特にこの手のオカルト映画では吸血蝙蝠と吸血鬼ドラキュラを重ね合わせたスト-リーが多く、今やすっかりドラキュラとコウモリが関係あるがごとく結び付けられるが、古来は全く関連性のない二者である。元々ドラキュラ伯爵(ワラキア公バラド3世)とは、ルーマニアの一地方を治めていた領主で、オスマントルコとの戦いで、殺した敵兵を串刺しにして晒した事から残忍なイメージが定着して、その後吸血鬼伝説と結びついた。でも地元ルーマニアでは、そうした話はないそうである。またドラキュラと言う名前も父親の呼称がドラクル公(竜公)であったので、その息子と言うことでドラキュラと呼ばれたそうで、コウモリよりは竜に縁があるようだ。

FA-18D/DT-00/Bu.No.165528

2008年にブラックテール・ショーバードとして確認された機体。左右両尾翼の外側は“DT”のテールレターと電光で、蝙蝠のシルエットは両尾翼の内側に描かれていた。このマーキングの特徴は空をかける蝙蝠をイメージしたもので、塗装を変え数種類あるようだ。イラストは、第一海兵師団のインシグニアが入った機体を再現。この年から部隊は、岩国に移動して2020年まで駐留することになる。F/A-18D   Bu.No.165410
Wings

↑ White Bearさんが、2009年9月に岩国基地で撮影されたVMFA(AW)-242のFA-18D。当時の所謂「岩国上がり」と呼ばれたR/W-02での離陸シーン。FA-18Dの特徴である長い背中のアンテナや後期型に付けられたIFF装置が良く判る写真である。

FA-18D/DT-01/Bu.No.164451

FA-18D/DT-00/Bu.No.165528

↑ MARINEの文字まで、オカルト映画の表題の様なオカルト風になっている。

↑ 同じく2009年岩国基地航空祭に展示された FA-18D/DT-07の右翼に懸架されていたハーム対レーダーサイトミサイル。

↑ 岩国基地R/W-20に着陸するVMFA(AW)-242のショーバードDT-00/Bu.No.165528.。2003年に現れた初代ブラックテールを彷彿させるマーキングでイラストで示した通り、尾翼の内側にはグレーで蝙蝠が書かれている。

FA-18D/DT-00/Bu.No.165528

1990年の湾岸戦争時は、A-6Eで参加したVMFA(AW)-242であるが、F/A-18Dになって最初の実戦は、2004年のオペレーション・フリーダム・イラク作戦である。2004年8月4日から2005年の3月15日まで約7ヶ月の間、300000ポンドの誘導爆弾などを投下している。
(2008)
(2008)

↑ 2008年8月の横田基地航空祭に展示されたVMFA(AW)-242のFA-18D/DT-05は、左翼に懸架されたパッケージポッドらしきタンクに大きな蝙蝠の絵柄が入っていて、注目された。この航空祭ではVMFA(AW)-533のFA-18D/ED-04と並べての展示であった。

↑ 2008年3月 VMFA(AW)-242のFA-18Dが岩国基地に派遣された初日の様子を捉えた写真で、DT-01/Bu.No.165528を先頭にDT-10/01/04と続いて、上空に現れた。DT-04は、機首の下にカメラユニットを付けたATARSと呼ばれるタイプ。White Bearさん撮影。

FA-18D/DT-05/Bu.No.165674

↑2008年9月6日 八戸基地に翼を休めるFA-18D、翌日三沢に移動する予定が タイヤの亀裂か何かのトラブルで 翌日までお休みとなった。パイロット達だけは 三沢に車で移動し しっかりと出店で商売に余念がなかった。

↑ 2009年日本の岩国で塗装されたマーキングで、初めて蝙蝠が両尾翼の外側に大きく描かれた。”MARINE”の文字もオカルト風に書かれ、5月のオープンハウスでも展示された。テールレター”DT”がセンチュリー文字となっている。F/A-18D   Bu.No.165528

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(2008)
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FA-18D/DT-05/Bu.No.165674

(2008)
2009年フニュフニュ君から岩国行の誘いを受けながら、またまた都合が付かず行けなかった。某国にいるので簡単に休みを取って帰国ともいかないのだ・・・許してね・・・でもこう言う時に限って岩国は、大当たりなのである。2009年5月の岩国に展示された憧れの”DT-00"2009年12月に厚木の日飛入りしたと言うから、またマーキングが変わるかもしれない。(2009年7月 記)
↑ 大バットがいるかと思えば、燃料タンクには、かわいい子バットも書かれていた。
(2008)

FA-18D/DT-09/Bu.No.165685

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(2008)
”暗黒からの死”などと オカルト的なキャッチフレーズを使っているが、吸血蝙蝠に血を吸われても死ぬわけではない。最近では傷口からの伝染病の心配はされているようだが・・・・