VMFA(AW)-242
Wings
(2001)
DT-02 (1994)
DT-10 (1994)
1976年に厚木で写真を撮りはじめた私にとって 岩国に配備されるA-6部隊の動向は常に大きな関心事項であった。WK/VK/EAのA-6を追って嘉手納行脚を繰り返したが 結局私の学生時代にローテーションが回ってこなかったのが、VMA(AW)-242とVMA(AW)-533だった。”ED”は後に何機か撮影できたが”DT”は確か1機しか撮ることが出来ずA-6E時代は、縁の無い部隊だった。

 FA-18Dになってからは、逆にシャッターチャンスに恵まれるようになってありがたい存在だった。
最初にFA-18Dとして 岩国配備になったときは、00番のみ電光を黄色で塗っており 他の機体はグレーのロービジであった。最近は、01番機の派手なマーキングなど マニア好みの塗装を身にまとい話題になることが多い。 ラテン語”MORS EX TENEBRIS”は、暗黒からの死を意味する。
Tail-Marking of DT-01(2002)
DT-06
DT-14
DT-00
DT-00 on TAXI
DT-03 on TAXI
(1999)
(1999)
(1999)
(1999)
(1999)
(1999)
(2001)
(2001)
(2001)
(2001)
Tail-Marking of DT-06(1999)
(1997)
DT-3/154169 (1984)
(1994)
A-6A時代最後のマーキング。バットの位置は、コックピット後方になっているが、ラダーに入っていた時代の方が長い
A-6Eに変更になった当時のラダーのマーキング。
A-6Eになって 1980年に岩国に配備された時の最も派手なマーキング。電光は、初めてラダーに移った。
”Batsの親分”所謂「デカバット」1号の厚木RW01のランディングである。この後 デカバットは、デザインを何度か変えているものの この時施された機種番 部隊ナンバー、それにテールレターのパターンは、踏襲されている。どうも 蝙蝠は、欧米ではやはり吸血鬼をイメージさせるようで この機に書かれたデカ蝙蝠もオカルト映画の吸血蝙蝠をイメージしている。実際の吸血蝙蝠は、非常に小型の蝙蝠で 動物に体に小さな傷をつけ 出てきた血を舌でぺろぺろなめる習性である。唾液には、麻酔効果があり 傷を付けられても気がつかないらしい。
(2008)
(2008)
築城基地に展示されたVMA(AW)-242のA-6E。このフルカラーのバット君が航空祭に展示されたことは知りませんでした。渡辺明さん提供。バックには懐かしのT-33が並んでいる。 
 A-6A〜E時代 ベトナム戦で ダナンを基点に 16783ソティの作戦をこなし 8万6000トンの爆弾等を投下していると言うから すごい”つわものども”である。
(2008 in TOKOTA AB)
DT-05 (164674)
DT-05 (164674)
DT-09 (165685)
(2008)
(2008)
(2008)
(2008)
VMFA(AW)-242も歴史が古く 創設は1943年7月に遡る。どうも 海兵隊最初の全天候飛行隊としてアTBFベンジャー雷撃機を配備されエルセントロ基地で教育訓練を受け 太平洋戦争に参加している。太平洋戦争では、ニューギニア戦線からサイパン島・テニアン島と言った日本軍守備隊が守る孤島の攻略 最後には硫黄島攻防戦に参加しているので 歴史上も関連の深い飛行隊だ。1960年10月には、A-4Dスカイホークを受領 1964年の初めにA-6Aイントルーダーを受領しているから A-6時代はかなり長い。ベトナム戦争時代は、南ベトナムのダ・ナン空軍基地をベースに 出撃を繰り返し 特にケサン攻防戦では、ローリングサンダー作戦の一翼を担った。エル・トロ海兵隊航空基地所属時代の1990年12月に 長い間使用し続けてきたA-6EをVA-128に移管し FA-18Dに機種交換して現在に至る。長いこと岩国に配備されていたVMFA-212ランサーに換わり岩国に常備される部隊となるので しばらくは、撮ることができるだろう 第一陣は、2008年3月10日に飛来している。
 オカルト映画の主人公になることの多いコウモリ君 特に吸血蝙蝠と吸血鬼ドラキュラを重ね合わせたストリーが多く 今やすっかりドラキュラとコウモリが関係あるがごとくイメージされたが 古来は、全く関連性のない両者である。もともと ドラキュラ伯爵(ワラキア公バラド3世)とは、ルーマニアの一地方を治めていた領主で オスマントルコとの戦いで 敵兵を串刺しにして晒した事から残忍なイメージをもたれてきたが 吸血鬼伝説と結びついたのは最近で 地元ルーマニアでは、そうした話はないそうである。また ドラキュラと言う名前も 父親の呼称がドラクル公(竜公)であったので その息子と言うことでドラキュラと呼ばれたそうで コウモリよりは竜に縁があるようだ。
1990年の湾岸戦争時は、A-6Eで参加したVMFA(AW)-242であるが FA-18Dになって最初の実戦は、2004年のオペレーション・フリーダム・イラク作戦である。2004年8月4日から2005年の3月15日まで約7ヶ月の間 300000ポンドの誘導爆弾などを投下している。
”暗黒からの死”などと オカルト的なキャッチフレーズを使っているが 吸血蝙蝠に血を吸われても死ぬわけではない、最近では、傷口からの伝染病の心配はされているようだが・・・・
大バットがいるかと思えば 燃料タンクには、かわいい子バットも書かれていた。
2008年9月6日 八戸基地に翼を休めるFA-18D、翌日三沢に移動する予定が タイヤの亀裂か何かのトラブルで 翌日までお休みとなった。パイロット達だけは 三沢に車で移動し しっかりと出店で商売に余念がなかった。
さて 下記に尾翼を黒に塗り替えてからの DT-01とDT-00のイラストレーションを並べてみよう。2009年にDT-01のバットの絵柄は、変更されたがそれまでのデザインは、黒く塗られた尾翼内側に右イラストの薄ぼけたコウモリの絵柄をいれ 表側は黄色い電光と”DT”のレターであった。 
2003年にブラックテールでデビューした最初のマーキング。Batは、尾翼の内側に大きく書かれ ”MORS EX TENEBRIS"とラテン語で部隊モットーが書き込んである。機首のModex01も凝ったオカルト調の文字、国籍マークも部隊カラーの黄色。
2008年4月から確認された2世代目のブラックテール機。コウモリの絵柄は、ゴースト調、背中のVMFA(AW)-242の文字は、黒一色ではっきり書かれたが MARINEの文字は、グレーに戻った。この後 岩国配備のときにコウモリの絵柄が スプレー書きのぼやけたものに変更される。
2008年末に全面的に変更されたマーキング、MARINEの文字までオカルト調、尾翼内側は、”DT”のレターのみとなり 外側にコウモリと電光が書かれる。2009年5月岩国FSDに展示。
2009年フニュフニュ君から 岩国行の誘いを受けながら またまた都合がつかず行けなかった。某国にいるので簡単に休みを取って帰国ともいかないのだ・・・許してね・・・でもこう言う時に限って岩国は、大当たりなのである。2009年5月の岩国に展示された憧れの”DT-00"2009年12月に厚木の日飛入りしたというから またマーキングが変わるかもしれない。
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