↑ 1974年3月に撮影されたVMA(AW)-332のA-6A/Bu.No.157002。1971年から同部隊で活躍してこのマーキングであったが、この機体は、海軍で使われる時間が長かったようで、E型へ改造後VA-35等を経て最後はVA-34で引退している。
このVMA(AW)-332もまた海兵隊で多くの任務に携わってきた飛行隊である。1943年に設立された時は、急降下爆撃機ドーントレスが宛がわれ、爆撃任務からスタートとしている。その後F4Uコルセア戦闘機を受領して朝鮮戦争に参加しているが、この頃コルセアの尾翼には”MR”のテールレターが書き込まれており、多分巨人軍の長嶋監督のように「ミスター・・ミスター」と呼ばれ、それが紳士の象徴であるシルクハットとステッキを機体に書き込む経緯となったと言われる。実に判り易い比喩だのう・・・つまり、これがハットとステッキの謂れとなっている。
また、朝鮮戦争で地上戦を戦っている海兵隊の仲間を勇気付ける意味で、コルセアのエンジンカバーを白く塗って赤い水玉を入れた機体で地上支援を行ったようである。こうした歴史が、今のインシグニアに反映されている。この飛行隊A-4スカイホークを経て 1968年にA-6イントルーダーに機種更新し 私が厚木に撮影に行きだしたころ 岩国に配備され、時々撮ることができた。黒い尾翼に月と星がとてもきれいにデザインされ A-6Eの部隊で最も好きだった。しかし 嘉手納でふんだんに撮れるチャンスが来たときには、オールグレーのロービジ塗装になっていた。
1976年から1977年初頭までは、度々厚木基地に飛来しているが 私が撮影できたのは 3機程度で シャッターチャンスには恵まれなかった。1979年に嘉手納に遠征した際 この部隊のA-6Eを毎日飽きるほど撮影できたが 本ページ下段の写真のような悲しいロービジ塗装で 感激は薄れていたのだ。しかし ムーン・ライターなのにロービジ塗装機は、肝心な”月”が書き込まれていない。VMA(AW)-332
"Moon Lighters"のA-6E/EA-06/Bu.No.159309。この機体は、何らかの理由で1977年3月にフィリピン沖に投棄されている。
1976年夏 沖縄県の嘉手納基地に展開し訓練を行ったVMA(AW)-332のA-6E、翌年の5月には、VMA(AW)-121に変わっているので 1977年の春先までしかシャッターチャンスはなかった。翼下にロケット弾ポッドを付けての実弾訓練で 嘉手納でしかお目にかかれない光景である。
↑ ネガカラー版であるが、私自身が1976年最初に厚木基地で撮ったVMA(AW)-332のA-6E”EA-07”と”EA-08”である。マーキングの美しさに毎回手が震えていた。この機体を撮影できた時の喜びは格別で、この後海兵隊機への思いは募っていった。
↑ 1973年3月にユマ海兵隊航空基地で撮影されたVMA(AW)-332のA-6A/Bu.No.155646。1972年迄VMA(AW)-224にいた機体で、同部隊がUSS
コーラルシーに載ってベトナム戦に参加した際は、”NL-501”を付けていた。E型に改造後、TRAMも装備され、1984年には岩国基地に駐留して”WK-00”を、1985年には”EA-11”のModexを付けていた。(本ページ下段に再登場する)
1977年からマーキングをガラリと換えて 部隊名も”Moon Lighters”に変わった。このマーキングは、極めてマニア間でも人気のあったもの 胴体にも部隊名を 小さく書き込むようになった。
上の2枚のA-6Aは、”POLKA DOTS”時代のマーキングで インシグニアの水玉は、F6FやF4U時代から 継承していたものである。元々レターが”MR”を使用していたことから ミスター(紳士)の身だしなみの象徴であるステッキとハットを書き加えたそうである。
↑ 1985年7月岩国基地で撮影されたVMA(AW)-332のA-6E/EA-11/Bu.No.155646
EA-12/155581(1984)
↑ 1978年7月ドビンス空軍基地で撮影されたVMA(AW)-332 "Moon Lighters"のA-6E/EA-06/Bu.No.155586。この機体は、後にVA-95所属時代に空母リンカーンのカタパルト上で発火して失われたとされる。
↑ VMA(AW)-332 "Moon Lighters"のA-6E/EA-10/Bu.No.155617。この機体は、1977年1月にフィリピン沖で墜落して失われた。
↑ VMA(AW)-332 "Moon Lighters"のA-6E/EA-03/Bu.No.159174
EA-07(159310)
←岩国でA-6Eの前でポーズを取ってくれたパイロット。パッチは、変更前のものである。
ムーン・ライターに部隊名が変更された正にその年に 岩国で撮影されたVMA(AW)-332のA-6E。そのマーキングの美しさからマニア憧れの部隊で、厚木基地の多くのマニアも岩国基地にまで遠征し、厚木の先輩マニア永田氏は、小船をチャーターして基地沖合いで着陸を狙って多くの素晴らしい作品を残している。此処に並べるのは、この素晴らしいマーキング時代に、岩国基地に入場許可を取って入り、コダクローム24で、しかも標準レンズで撮影していた渡辺師匠の作品。何とも羨ましい限りである。1976年9月岩国基地
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↑ VMA(AW)-332 "Moon Lighters"のA-6E/EA-03/Bu.No.15619
EA-08(155583)
↑ 撮影日、撮影場所共に不明ではあるが、尾翼のマーキングがはっきりと判る写真である。VMA(AW)-332所属のA-6A/Bu.No.154168。E型改造後 VMA(AW)-533に移動して空母で運用され”AA-506”のModexだった機体。