VMFA-212

(1942〜2008)

1977年の夏まで岩国基地には、長期間に渡りVMFA-115/232の2飛行隊が駐留していた為、これ以外の海兵隊のF-4が飛来する機会は少なかった。ある時航空雑誌のトピックス欄に厚木に飛来したF-4Jの写真が投稿されたが、それは白い尾翼にシェブロンとバルカンクロイツを描いた美しいお姿で航空機マニアを虜にするに充分な存在だった。この機体はハワイのカネオヘをベースとするVMFA-212の所属機で、アメリカ本国でも中々撮れない部隊だったようだ。1978年に待望のVMFA-212が岩国に駐留したが、その時期のF-4Jは低視認の模範のようなロービジ塗装に身に纏ってしまい、仮に撮り逃がしても後悔する程の魅力はなかった。F-4Sになってからも、DB/WT/WDは半年サイクルで岩国に交代で駐留したため、気合を入れれば撮影の機会もあったと思うが、ロービジとなった海兵隊機を以前の様に釈迦力になって追う気は無かった。F/A-18Aになってからの方が、 反って食指をそそる良いデザインであると思うのは私だけだろうか。また部隊インシグニアはバルケンクロイツを入れた”盾と矛”で,、人気のあるパッチの1つである。

↑ バルケンクロイツと”LANCER”の文字は整備員による手書きのようである。

左のイラストは、1971年6月に厚木基地に飛来したVMFA-212のF-4Jのマーキングである。胴体のMARINEの文字は作業上省略したが、実に魅力的な出で立ちをしていた。この部隊は長らくハワイのカネオヘを根拠地としていたが 後期はレードームの特色有る曲線は廃止になっている。残念ながら岩国にローテーションで飛来するようになってからは、バルケンクロイツの盾と矛だけをシルエットとして描いた簡単なマーキングとなっていた。
1942年に創設された古い飛行隊で F4F-4ワイルドキャットを装備して日本海軍航空隊とガダルカナル方面で死闘を展開した飛行隊のひとつである。その後はF4U-4コルセア戦闘機に機種交換して沖縄戦にも参加、132機の日本軍機を撃墜、7名のエースを生んだ。1963年にF-8Bクルセーダーを受領し、海軍空母に搭載されて空母航空団(CVW-16)の一員として、1965年6月から約半年間ベトナム戦を戦っている。1968年にF-4Jを受領、1972年に再びベトナム戦に参加。1979年9月岩国に配備された時はグレー色のF-4Jとなっていた。
click here
F-4J
HOME
NEXT
Wings
1987年厚木基地の公開日に展示されたVMFA-212のF-4S。VMFA-235に替って1987年4月から配備されたが、この年の10月まで岩国基地に居て最後の岩国駐留のF-4S飛行隊となった。因みに、岩国基地に最初にF-4Sを持ってきたものVMFA-212であり、1979年9月の事になる。S型は、HUDを装備した最新の爆撃照準装置を追加しており、エンジンは、無煙化されていた。

←二人ともに"TOP GUN"出身のようだ。

(1988)
(1988)
(1988)
(1988)
下の2枚は、1975年8月アラメダ海軍航空基地にて、渡辺明さんが撮影したものであるが、その時の様子を以下のように記述されている。「アラメダ基地を離れる前に一度エンタープライズが停泊している岸壁へ行ってみようと ピートがいった。岸壁と言っても、航空基地のすぐ脇にあり、エンタープライズの向こうにはオリスカニが停泊している。エンタープライズの停泊している桟橋にはクレーンで下ろされたばかりのファントムが2機見える。エンタープライズのVF部隊には、すでにトムキャットが配備されているのだから、それではエンタープライズで運ばれてきたファントムは、いったいどこの飛行隊のファントムなのだろうか?エンタープライズの方へ近づいていった。よく見ると見慣れない白っぽい尾翼のマーキングである。「オー!あれはハワイから運ばれてきたやつだ」と またしてもピートがニコニコしている。「ヨーシ 明日もう一度ここに来よう。明日ここに来た時には、おそらくあの2機のファントムは、管制塔前の外来機の列線に並べられているはずさ。そうすれば明日 あの2機をバッチリ写せるじゃないか」とピートがいう。(航空情報1977年2月号)

↑ 並べられたF-4Jのジェットインテークにはハワイの特産であるパインナップルが書かれていて面白い。