VMFA-232 ”Red devils”がF-4Sに機種更新されてから2度目の岩国基地派遣時のもので、マーキングの特徴としては機首のModex(機体番号)が前回の1981年時と比べ、色を変えて部隊名の赤色を使った所である。1983年当時のアメリカ大統領は、ロナルド・レーガンで当時のソビエト連邦と軍事的な対立が激化した頃でもある。レーガン氏は、ソ連を悪の帝国と呼びだしたのもこの年であり、大韓航空の旅客機がカムチャッカ半島沖でソ連空軍機に撃墜され269人の犠牲を出したとしでもある。冷戦は緊張期にあった。
F-4S/WT-05/Bu.No.155809 & WT-14/Bu.No.155561
↑ 嘉手納基地旧海軍エリアに駐機する2機のF-4S。手前の機体は元VF-33で使われて、S型にアップグレード後海兵隊に移管された機体である。後に奥のF-4S/WT-05と同様QF-4Sに改造された。
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F-4S/WT-11/Bu.No.155848
F-4S/WT-05/Bu.No.153809
↑ ここからの一連の写真は、渡辺明氏のスライドコレクションから展示させて頂くが、何れも1983年5月に岩国海兵隊基地内で撮影されたものである。
F-4S/WT-04/Bu.No.153805
↑ エコータキシーウェイから嘉手納基地旧海軍エリアのフライトラインに戻るVMFA-232所属のF-4S。1980年代まで、この場所はマニアの撮影場所の一つであり、風向きがR/W-05の時に唯一海軍/海兵隊航空機のタキシングが撮れる場所として人気があったが、嘉手納基地に大きな策が建設された後は、撮影が出来なくなり。偶に開かれる航空祭(嘉手納FESTA)での臨時ゲートで使われる程度となってしまった。
↑ 同じくWhite Bearさん撮影のF-4S/WT-02/Bu.No.155847。何故かModexが書かれている部分のみ、左右共に明るい色になっており、パネルを左右共に交換したためかもしれない。
F-4S/WT-06/Bu.No.155887
F-4S/WT-11/Bu.No.155848
F-4S/WT-14/Bu.No.155561
F-4S/WT-06/Bu.No.155887
↑ 1983年に再び岩国に派遣されたVMFA-232のF-4S。Modexが部隊名に因んで赤色が使われていた。2枚目以降も、White Bearさんが嘉手納基地で5月に撮影された一連の写真である。