2007年12月、この年私は海外遠征ができなかっただけでなく、国内の撮影行も数度しか実現できていなかったので、最後の帰国休暇を使い那覇のエア・フェスティバルに行くこととした。那覇基地には過去何度も訪問しているが、航空自衛隊のOpen Houseに行くのは、この時が初めてだった。12月7日に帰国して翌日那覇まで飛び、日曜日にOHを楽しんで月火は嘉手納での撮影を予定した。多くの友人が那覇のOHにあわせて沖縄に来ていたので、月曜日の嘉手納も空母入港時の厚木のような賑わいとなっていた。しかも 友人からマリーンのF-18 3飛行隊が先週まで訓練をやっていて、まだ嘉手納にいるとの情報。2000年以降3回目の嘉手納であるが、前回も海兵隊機に恵まれていなかったし、三沢でも海兵隊機には見放されていたので正直期待をせずに嘉手納に向かった。

 嘉手納で撮影するなら、朝は早くなければいけない。7時半には嘉手納着、まず、いつもの丘に上がり嘉手納を展望、「うむ 2度目の飛行停止となったF-15は、静かにハンガーでお休み中であるが、エプロンには多数の海兵隊機が駐機しており、何やら整備員も出ている。少し期待に胸を膨らませて、エプロンを注視。あれ?F-18の数機はJDAMをぶら下げているではないか、「これはしめたものだ、今週も訓練するぞ。」 しかも、ハリアーまでいるではないの!早速 可愛いEOS-Kissに300㎜(2.8)つけてR/W23側に上がりを撮りに向かう。VMFA-312は、最近殆どお目にかかっていない飛行隊であったから、今回飛来していたホーネット御三家(DR・VW・WD)の中で 一番嬉しかった部隊であった。(2007/12/25 記)

↑ 1988年、F/A-18Aを運用していた頃のVMFA-312のマーキング。尾翼のチェッカー模様以外はほぼ完璧なロービジ塗装であり、背中の部隊ナンバーも薄く表記されていた。この頃のA型は、背中の整流板が見られない。この時期から尾翼の内側に部隊モットーである”FIGHT ON"が書かれ始めた。F/A-18A Bu.No.163172 DR-08
Dec.7 2007 Kadena AB
VMFA-312
FA-18A
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VMFA-312のF/A-18A初来日は1990年7月で、当時のホーネットの部隊にしては珍しく、所属機全機の尾翼に一部カラーマーキングが施されていた。カラーと言っても、グレー色の混じった赤と黄色の2色の薄いラインである。嘗てのトリムラインを構成していた2色であるが、こうした色を全機に施しているホーネット部隊は実に少なかったので、マーキングでは注目された。VMFA-312は岩国への配備回数が少なく、1990年以来ず~と・・日本で姿を見ることはなかった。そして2005年7月、15年ぶりに岩国に駐留したと思ったら、翌々年2007年9月に再び岩国配備となる等、ここ最近は漸く日本にも馴染んできた?部隊だ。 

1990年横田基地公開時に展示された2機のVMFA-312所属のF/A-18A

(1990)
(1990)
(1990)
(1990)
(2006)
KR-64などのスライドフィルムでは よっぽど光線状態が良くないとF-18の尾翼の下に書かれたバズナンバーなんて殆ど読み取れなかったが、デジカメに変えた途端、こんなテイク・オフでもしっかり読み取れるのである。古い人間は、今更ながら技術の進歩に脱帽なのだ。この日テイク・オフを1/500で撮影していたが、大先輩のW氏が、「N.O.B君、デジカメだったら1/1000ぐらいで撮影した方が良いよ」とアドバイスしてくれた。KR-64時代は、天気が悪いと1/125でテイク・オフも撮っていた私であるが、カメラの自動化がここまで進むと 飛行機を効率よく撮るのも腕より情報のほうがよっぽど重要である。優れたレーダーを持たなかったため敗れた旧日本海軍の艦艇になった気持ちである。
163129(DR-200)
163165(DR-203)
163161(DR-202
163132(DR-201
163176(DR-204)
↑ VMFA-312 DR-203, こいつは爆装の状況が分かる。何とJDAMの実弾付けてますな。

↑ 2019年に確認されたDR-200の新塗装。尾翼には複雑なラインが走っている。機体背中にフェリス調の黒いラインを入れ縦に「FIGHT ’ ON」と書き込んであるが、通常の離着陸では地上からは見えない。F/A-18C Bu.No.163889 DR-200

Wings
Insinia of VMFA-312
(1990)
↑上写真2枚はVMFA-312所属の FA-18Cがスネークアイ誘導爆弾(これも実弾)をつけてテイクオフしていった模様。スネークアイを付けている左翼には誘導弾をコントロールするLANTIRNらしき誘導用のPODもぶら下げており、右翼の増装タンクでバランスをと取っている。
何せKR-64時代(白黒フィルム使用時代含み)は、嘉手納で馬鹿高いテイク・オフなんて撮ろうとも考えなかったが、デジカメ君は300㎜に1.4のテレコム付けたら、何と630mm相当の超望遠に早代わりである。早速チャレンジして見ることとした。効果はまずまず・・・この機体は、比較的低い離陸で反対側のJDAMが見えない。
163174(DR-207)
163124(DR-210)
163438(DR-211)
↑フェリス迷彩を施したVMFA-312F/A-18C Bu.No.163132.2005年頃の塗装で、恐らく部隊で唯一迷彩塗装を施された機体で同飛行隊のデビット・A・ソレンセン軍曹が行ったマーキングとされる。テールレターは、その頃所属していたUSSエンタープライズのCVW-1に配属されていたことを示す。IFFアンテナ付の機体。

↑ F-4SからF/A-18Cに機種交換して後、最初に施された派手なチェッカーマーキングがこの機体で、航空マニアが多くの写真を残している2009年に空母搭載の際、CAG指定機として塗られ、尾翼全体を白黒の市松模様として機番やその他注意書きも朱色を用い、海兵隊機で最もエキサイティングな塗装であった。F/A-18C Bu.No.163889 DR-200  搭載空母はUSSハリー・トルーマンCVW-3

 2016年に岩国でも確認された司令官指定機でIFFアンテナ付DR-200機番や部隊ネームが黒色でまとめられた事からシックな印象を受ける。他の機体が、テールレターをAC(後にNA)としていた中、唯一200番だけが「DR」表記であった。但し、空母搭載時は「AC」レターに戻りコックピット下にはCAGのネームを入れている。 F/A-18C Bu.No.164871 DR-00