↑ VP-1のP-3B時代の一般的なマーキング、胴体後方の国籍マーク付近のラインは、上のイラストと異なるが、どうも同時期にVP-1飛行隊内で2種類存在したようである。機首のModex左上には海軍部隊褒章を掲げている。
Tail-Marking of VP-1 (1976)
↑ White Bearさんが、1971年8月のお盆休みの時に、USSオリスカニの横須賀入港に伴う艦載機(NM)の厚木基地飛来を狙って行かれた時に、副産物として収穫(?)されたP-3B/YB-1/Bu.No.154604
太平洋戦争の半ばを過ぎた1943年2月に誕生した部隊で、最初に受け取った機体はPV-1ベンチュラ対潜哨戒機であった。大戦中は主に北大西洋方面で輸送船団の護衛を目的に、対U-ボート戦に活躍し撃沈した功績で隊員が海軍十字章を受領している。戦後は太平洋方面に活動の舞台を移し、1947年にP2V-2を受領、1964年10月に岩国に配備され、ベトナム戦では当時の南ベトナムのタンソンニュトとダナン基地に分遣隊を常駐させ、沿岸の哨戒任務を担当した。1966年からはマーケットタイム作戦に従事して、日田ベトナムからベトコンへの海上支援ルートの監視・遮断業務で活躍する。ベトナム戦争中ベトコンのタンソンニュト基地襲撃事件は有名であるが、この際攻撃で部隊に死傷者を出した唯一の哨戒飛行隊であった。ベトナム戦争後はベトナムを脱出するボートピープルの救助に活躍したとされる。
1969年7月にNASモフェットフィールドでSP-2HからP-3A型を飛び越して当時最新のP-3B型に直接移行している。1984年10月にP-3Cに移行を始めている。1975年半ばから尾翼のマーキングを「夕日を背にした鷲」に変更し、マニアの間でも評判の高いデザインであった。NASバーバスポイントのPW-2に所属していた為、PW-10に比較し厚木基地での撮影の機会はそう多くなく、時折厚木に飛来するとマニアは海軍機マニアは皆喜んだ。
↑ 1969年に厚木基地にも飛来したVP-1の隊長機(スキッパー機)、唯一尾翼に華やかな白頭鷲の図柄をいれ、当時は相当注目された機体だったはずだ。機首にはModexの他、部隊徽章(インシグニア)やバトルE等のマークが書かれていた。
↑ White Bearさんが厚木基地で撮影されたVP-1のP-3B/Bu.No.154603。撮影日の記録が無いそうですが、尾翼の夕日の描き方から1976年~1983年のものと推測される。
↑ 上写真は2枚ともに1977~1978年に掛けて友人が撮影したものであるが、厚木基地R/W19に着陸するVP-1のP-3B。旧マーキングのYB-11の写真と対比するとB型時代にマーキングは変化したが、機体の入替は多くなかったようである。
↑ 1978年厚木基地R/W19に向かうP-3B/YB-4/Bu.No.154601
↑ 恥ずかしながら私が初めてVP-1を撮影したのは、恐らく1976年に外来で厚木に飛来したYB-7。当時はコダックのカラーネガフィルムか富士のネオパンSSを使っていたが、この機体のマーキングにえらく感激していっぺんでVP-1が好きになった。グラディエーションされた夕日を背景に白頭鷲が飛翔とは洒落ている。P-3B/YB-7/Bu.No.153425
左写真は、撮影日が不明だが1970年代の初め 多分73年か74年に沖縄の那覇基地で撮影されたものである。VP-1のP-3の初期のマーキングでは、イーグルは黒に塗られたフィンチップの中に黄色で描かれていた。P-3B/YB-11/Bu.No.153418
↑ 半世紀以上前の映像ですが、正に目の前をタキシングして行くP-3Bの生き生きとした情景が伝わるとても素晴らしい写真だと思う。VP-1の旧インシグニア、白いシャドーの掛かったModex”5” マーキングの様子も良く判る。1971年の岩国の三軍記念日での様子でYB-5は外来機。
↑ 神戸在住のベテランマニアWhite Bearさんからご提供いただいたVP-1のP-3B/YB-5/Bu.No.154599。White BearさんのP-3コレクションを拝見すると私以上にオライオンファンではないかと思います。時代毎にきちんと押さえる所を抑えておられます。流石!!
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1977年8月嘉手納にて撮影したP-3B”YB-10" この時嘉手納に派遣されていたのはVP-9であるから、これは外来として飛来したもの。この頃は色彩を残したいものは、ネガカラーフィルムで撮っていた。リバーサルフィルムを使うお金の余裕はなかったのだ。