Tail-Marking of VP-1 (1976)
1977年8月嘉手納にて撮影したP-3B”YB-10" この時嘉手納に派遣されていたのはVP-9であるから、これは外来として飛来したもの。ネガカラーで撮ってしまった。
太平洋戦争の半ばを過ぎた1943年2月に誕生した部隊で、最初に受け取った機体はPV-1対潜哨戒機であった。大戦中は主に北大西洋方面で輸送船団の護衛を目的に、対U-ボート戦に活躍したが、戦後は太平洋方面に活動の舞台を移している。
1947年にP2V-2を受領、ベトナム戦では当時の南ベトナムのタンソンニュト基地に常駐し、沿岸の哨戒任務を担当した。1969年7月NASモフェットフィールドでP-3A型を飛び越して当時最新のP-3B型に直接移行している。1970年代半ばから尾翼のマーキングを「夕日を背にした鷲」に変更し、マニアの間でも評判の高いデザインであった。NASバーバスポイントのPW-2に所属していた為、PW-10に比較し厚木での撮影の機会はそう多くなく、時折厚木に飛来するとマニアは海軍機マニアは皆喜んだ。
多少色がついてVP-1らしいマーキングになったP-3C。2004年には、スキッパーとしてYB-768(Bu.No.160768)も同様のマーキングで確認されている。
2006年5月の岩国基地航空オープンハウスに久々に展示されたVP-1のP-3C。考えて見えればそれまでVP-1のクルーを撮影するチャンスに巡りあわせが無かった。ノーマークのP-3Cの機体そのものには興味をそそられなかったが、クルーにはしっかりとファインダーに納まっていただいた。
They are crew of VP-1 at MCAS Iwakuni in May 2006.
左写真は、撮影日が不明だが1970年代の初め 多分74年か75年に沖縄の那覇基地で撮影されたものである。VP-1のP-3の初期のマーキングでは、イーグルは黒に塗られたフィンチップの中に黄色で描かれていた。
ロービジとなったVP-1のP-3C、VP-1の美しい尾翼を見慣れていた私にとって、こいつに始めて遭遇した時は流石にショックだった。単なるインシグニアの拡大だった尾翼のマーキングも 現像して初めて、何が書いてあるのか理解できたほどである。マーキングは今までのものとは比べようのない醜いものだったからである。しかし・・・これも現実であり受け入れるしかない。
上の写真のほとんどは、厚木のランウェイ19側で撮影したものであるが、P-3をこよなく愛した私にとって 特に当時ハワイのバーバース・ポイント海軍航空基地から飛来する部隊のP-3は、うれしい訪問者であった。彼らは 尾翼の前縁にハワイの象徴として レインボーの絵柄を入れており、これが美しかった。
上下カラー写真のP-3B/153421P-3C/156524の尾翼のデザインに注目していただくと・・・。写真下VP-1がP-3Cに更新された後のもので撮影期日は、異なる。良く注意して見るとイーグルのバックに描かれた夕日のグラディエーションがP-3B時代のものに比べ、色の境がはっきりしている。 こうした所にP-3フリークは敏感に反応する。もちろん、私はB型時代のデザインが好きである。
New Insignia of VP-1
Tail-Marking of VP-1 (1981)
2006年5月 岩国・・・こうなってしまえばVP-1の面影は 尾翼のチップを黒く塗っているところだけ。P-3だから証拠写真に1枚撮っておこうか位の気にしかならない。それでも国籍マークがフルカラーであるから、まだましな方か・・・しかし、このVP-1のページだけは過去から現在に完結した少ないページの一つである。
(2006)
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