↑ 1980年3月 西ドイツ ラムシュタイン空軍基地で撮影されたVP-10のP-3B/Bu.No.152745。2枚上の写真と同一機であるが、4年が経過してもマーキングは殆ど変わらない。一つだけ違いがあるとすれば、セーフティ・アワードのマークが機首に入った事ぐらいである。
↑ 1978年6月 NAS ブランス・ウィックで撮影されたVP-10のP-3B/Bu.No.152742。ブランズ・ウィック駐留のP-3部隊は、一時の呪われた翼と噂された。それは、ここを本拠地とする部隊が、1973年から1978年までの間に3機ものP-3オライオンの墜落事故を起こしていたからである。最初は、上述のVP-10のP-3B/Bu.No.152749、そして1977年12月にVP-11のP-3B/Bu.No.153428、最後はVP-23のP-3B/Bu.No.152724で、3事故合計で25名もの犠牲を出していたからである。しかし、VP-10は、この地域での勤務は非常に長かった。
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1952年に創設された歴史のある対潜哨戒部隊で、1954年P2V-5ネプチューン哨戒機の配備完了と共にアイスランドのNASブランス・ウィックに派遣されている。この後も北海やグリーンランドなど北部での勤務が多く、任務もカナダとグリーンランド北東部の間の氷層の動きを監視するなどで活躍している。1958年からは、部隊を2つに分け、一部は北海方面の監視、もう一部は中東のレバノン危機での支援にあたったが、この後も南の分遣隊は南米諸国への訪問を繰り返し、各国への海軍指導やアメリカ海軍のプレゼンスを示すなど南米諸国のアメリカ離れを防ぐための活動をしている。1961年にはスペインのロタに6機が派遣され、24名の武装集団にシージャックされたポルトガル船籍の豪華客船サンタ・マリア号の捜索支援などに従事するなど活躍。1965年6月にはP-3Aを受領し、翌年からNAS ケフラビックに配備されて北海中心に哨戒任務に就いていたが、1967にはP-3Bに更新している。1973年まで95000時間の無事故記録を立てたが、1973年3月15日に1機のP-3B(Bu.No.152749)がNASブランズ・ウィック沖40マイル付近で墜落事故を起こして、ジョン・E・ボイヤー中佐以下5名が亡くなっている。
1980年にVP-10は、当時最新のP-3C Update-Ⅱに更新、1981年には、NATOの演習区域に進入したソ連のパパ級潜水艦を発見し、追いつめて浮上させるなどで海軍功労賞を受けている。
↑ 1976年9月に撮影されたVP-10のP-3B/Bu.No.152745 (撮影場所不明) この機体は、後にEP-3Jに改造された。ラダー上部に機番を入れているのが特徴。