(1952~1997)
VP-11は、1952年ロードアイランド州NAS クオンセット・ポイント海軍航空基地で12機のP4Y-2を受領して創設された。翌年にはP2V-5ネプチューン哨戒機に機種転換し、このネプチューンの系統機を1966年いっぱいまで使用して、1967年1月からP-3Bに転換している。展開後も北方水域での対潜哨戒任務を主体に活動し、アイスランドのケフラビック海軍航空基地への派遣も行われた。
 ベトナム戦争末期の1972年 VP-11は突然フィリピンのNASキュービーポイントに派遣され、此処から南シナ海からトンキン湾海域での監視業務を行ったそうであるが、この時の活動が評価されて海軍部隊表彰を授与されている。
 1981年にはP-3Cの最新型Update-Ⅱを受領、この年の11月にハープーン対艦ミサイルの実射を初めて行うなどしているが、1986年にはNASブランズ・ウィックに再び戻り、氷海でのソノブイの貫通実験などを実施している。1988年には再びアイスランドのNASケフラビックを拠点に活動するようになり、700回以上の出動を重ね、この海域で多くのソ連潜水艦を探知追跡したとある。1990年代初頭はシチリア島のNASシゴネーラを中心に、湾岸戦争での支援や麻薬密輸ルートの監視、ユーゴスラビア紛争でのアドリア海監視業務に従事したが、部隊は1997年にNASブランズ・ウィックで解散となった。
↑ 一般的に知られるVP-11の代表的マーキング、青い稲妻と白いペガサスのデザインはシンプルながら、航空ファンから高い人気を誇った。インシグニアが機首に貼られている。P-3B/LE-2/Bu.No.153432
↑ VP-11は、SP-2HネプチューンからP-3Bに更新にたのが1967年、この頃はアイスランドのケフラビックでソ連の潜水艦などの監視にあたっていたが、マーキングは青い線とペガサスだった。P-3B/LE-27/Bu.No.153428
↑ 1984年7月に撮影されたVP-11のP-3C/Bu.No.161336。
↑ 1981年3月にフロリダ州ジャクソンビル海軍航空基地で撮影されたVP-11のP-3B/Bu.No.153439。逆光で少し判りにくいが、機首にバトルEのマークが入っている。この機体は、その後オーストラリア空軍へ売却され、南オーストラリアのエジンバラを本拠地とする作戦転換飛行隊(P-3/P-8への操縦訓練)292SQ等で使用されたとある。
”The Last Ride" in 1996 P-3C/LE934
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Wings
↑ ロービジ時代に入り、グレー色なったVP-11で、隊長指定機はこれまでのマーキングが復活した。1981年にB型からC型のアップデートⅡに更新しているが、1996年は飛行隊解散の前年にあたり、この機体の観測窓の下には”馬の馬蹄と”The Last Ride"の文字が入っている。最後の飛行・・・を指している。
Illustrations by N.O.B (Feb 2025)
↑ 1983年7月にアンドリュース空軍基地で撮影されたVP-11のP-3C/Bu.No.161330。VP-11のテールマークはシンプルながら実に美しいマーキングである。このP-3Cは、後に気象観測用のWP-3Cに改造されて運用されたが、地上滑走中のクラッシュしてスクラップになったそうである。