VP-17
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(1946~1995)
↑ 1980年代に出現したテールレターに細工が施されたマーキングで、白い稲妻も形が多少異なっている。大きな違いは機首のモデックスに稲妻が追加されたところで、
VP-17は、第二次大戦後間もない1946年にカルフォルニア州NASロスアラミトスで創設された。創設時は、VP-916という部隊ナンバーで予備役部隊の一つだったそうだ。当初配備されたのは、PV-2とPBY-5Aカタリナ飛行艇だ。1949年にVP-772に改称され、1951年1月には日本の岩国基地へ派遣されている。その後岩国基地を起点に勃発した朝鮮戦争へ参加、予備役飛行隊で朝鮮戦争へ出撃した最初の飛行隊であった。1956年2月4日 VP-772は、正規部隊に編入されVP-17と言う部隊名になっている。同年8月に機種をP2V-6ネプチューン対潜哨戒機に更新を開始し1956年に沖縄の那覇海軍航空基地に派遣された。
 
1968年にVP-17は、P-3Aを受領して1969年には再び岩国基地に派遣され、分遣隊を厚木基地にも置いていた。1970年に所属のP-3A(Bu.No.152159)がアメリカ本土のネリス空軍基地で飛行中に爆発して、乗員10名全員が死亡すると言う不幸な事件もあったが、1978年6月にB型への更新を終え1986年にC型に更新するまで8年間P-3Bを長く使用した部隊でもある。1995年に部隊は解散し49年間の歴史に幕を閉じた。
↑ 厚木基地R/W01で離陸するVP-17/ZE-4/Bu.No.153457。P-3オライオンは離陸時も着陸時も4つのエンジンから濛々たる黒煙を上げながら飛行した。エンジンはアメリカのアリソン社と言うインディアナポリスに本社を置いて車競走用のホットロッドのエンジンを作っていた会社だ。アリソン社はP-39/39/40のホーク系戦闘機のエンジンを作った会社であるが、オライオンのT-56と言うエンジンもC-130系にも使われた優秀なターボプロップエンジンで 4300shpを誇る(B-29爆撃機のエンジンの2倍の出力)。B型のT-56は更にパワーのあるT-56を採用している。
↑ 1977年厚木基地R/W01に着陸するP-3B/ZE-2/Bu.No.153451。右翼に懸架されているのはAVQ-2Cサーチライト、夜間哨戒の際欠かせない装備で、サーチライトはP-2/S-2等の対潜哨戒機にも付いていた当時の必需品。
↑ VP-17の基本的なマーキングで、P-3Aに更新されてから、C型になってロービジ塗装を施されるまで殆ど大きな変更が無かったようである。P-3B/Bu.No.152168
↑ 時代が変わって1977年のハワイ バーバース・ポイント海軍航空基地におけるVP-17の様子。すでに一部の機体はB型への更新を終えていた。P-3B/ZE-1/Bu.No.153454。この機体も含めVP-19から移管された機体が多かったようである。
↑ White Bearさんの作品、1969年9月岩国基地に着陸するVP-17のP-3A/Bu.No.152147。この年の7月に岩国基地に派遣されて、ベトナムのカムラン湾から遠くはタイまで広い地域で活動をした。また 1972年にはUNITAS-12に参加して、南アメリカ諸国との訓練に参加している。
ZE-2/153451
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1974年VP-17は沖縄の那覇基地に配備されたが、那覇に配備された最後の対潜飛行隊だった。1975年から嘉手納基地に新設された海軍機エリアで活動を始めている。この海軍エリアを使用した最初の対潜飛行隊でもあったそうだ。1978年にP-3Bに機種更新し、1986年まで8年間B型を使い続けた。
ZE-1/153454
Wings
ZE-4/153457
↑ White Bearさんが撮影されたVP-17のP-3A/Bu.No.152154。尾翼の白い電光マークは1965年に尾翼の稲妻の元となる最初のマーキングが部隊のP2V-7全機に入れられたそうで、その年の7月に岩国基地に配備されている。前述の通り、この岩国基地からベトナム方面にマーケット・タイム作戦の支援を行ったとされる。マーケット・タイム作戦は当時の北ベトナムから南のベトコンへの物資や武器の海上からの輸送を監視して、阻止する任務で多くの対潜哨戒部隊が参加している。
↑ White Bearさん撮影、1969年10月岩国基地を離陸するVP-17のP-3A/Bu.No.152146。同隊はP-3Aを受領前P-2H時代の1966年に太平洋方面のメンテナンス部門で褒章をもらっている優秀な飛行隊である。この写真の1年前まで同隊はベトナム沿岸でマーケット・タイム作戦に従事、北ベトナムから南ベトナムのベトコンに対する補給船を叩いていた。