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↑ 1976年厚木基地R/W19に着陸するVP-17のP-3B。この年の1年前、カンボジア沖で発生したクメール軍によるアメリカ船(マヤゲス号)の拿捕事件の際、現場に急行してカンボジア解放軍の警備艇を監視/攻撃したのがVP-17のP-3A(Bu.No.152168)だった。このP-3A(上写真とは関連なし)は尾翼に50口径の弾を3発受けており、引退までその穴は補強材で養生されただけだったらしい。
↑ 1993年4月厚木基地R/W-19に着陸するVP-17のP-3C。ロービジ時代にもこの電光のマークは機体を精悍に見せてくれる優れたデザインだった。
↑ 厚木基地のベテランマニア鈴木純夫氏が1994年4月にR/W19で撮影された着陸するVP-17のP-3C。
Tail-marking Pattern-1
Tail-marking Pattern-2
Tail-marking 1993
(1993)
(1993)
↑ 1984年9月 この時私は何を血迷ったのかそれともP-3の飛来に気が付かなかったのか、フィルム送りを忘れていたのか・・・記憶にないが、尾翼のこの1枚しか撮っていないVP-17のP-3Cスキッパー機Bu.No.154590。機首のModexは上写真と同じ”17”で、スキッパー機本来のModex”1”と部隊番号”17”を掛け合わせたもの。
ZE-6/153455
尾翼に”白い電光”とベースであったNASバーバース・ポイントを示すレインボー、VP-17は派手なマーキングの多かったP-3の部隊の中で、色彩的には目立たないものの落ち着いたデザインで人気が高かった。前述の通り1944年1月にバージニア州ノーフォークでPBM-3Dを受領して編成された古い部隊である。インシグニアは右の通り白頭鷲が爆弾で共産圏の潜水艦を正に破壊しようとしているデザインだが、”white
Lightning”の命名の由来は判らない。私が厚木基地に撮影で通いだした1976年頃はまだP-3Bを使用しており、C型への更新は1980年代後半に入ってからだと記憶している。当時厚木で見るP-3は、"Y"とか"R"とか""P"で始まるテールレターが多い中、"ZE"のテールレターと言うのも変わっていたし・・厚木基地でも撮影の機会が少ない被写体だった為、撮れた時は非常に嬉しかったP-3部隊の一つだった。残念ながら1995年3月末で飛行隊は解散している。
↑ 1984年私が唯一リーバーサルフィルムで撮ったVP-17のP-3B/ZE-17。1986年までB型を使用していたので、それまで殆ど白黒フィルムばかりで撮影していたが、このスキッパー機(隊長機)だけはスライドフィルムで撮る事が出来た数少ないB型。この機体はVP-17にP-3B型が配備当初のZE-1ではなく、1980年代にVP-6から移動してきたもの。
ZE-17/154590
ZE-11/153453
↑ 元々旅客機がベースだけに大きな胴体径は3.45mもあるので、キャビン内部でも2.3mが確保でき背の高いアングロサクソン系でも屈まず立って歩ける。また、キャビンはそれまでのP2V-7になかった与圧機構が働いている為、快適な空間が実現でき滞空時間が大幅に伸びた。因みに同時期に活躍した海上自衛隊のP-2Jは、与圧機構などの改善は出来なかったので乗員は狭い空間での勤務は大変だったそうである。
ZE-7/153444
↑ 1993年に撮影したVP-17のスキッパー機。厚木基地R/W19にて。
(1946~1995)