↑ 1978年3月嘉手納基地の海軍エリアに駐機するVP-19のP-3C。 VP-19は、それまで何度か日本本土の基地にも配備され、1966年、1968年、1970年に岩国基地に配備されたとされる。1966年の岩国配備時期は、ベトナム沖でのマーケットタイム作戦で北ベトナムから南ベトナムのベトコンへの支援物資の輸送を阻止するための哨戒任務を担当した。この作戦にはVP-19以外の多くの哨戒飛行隊が参加したが、P-3部隊はブルパック対地ミサイルなどを装備して、南ベトナム12マイルの沿岸内を航行する怪しい船舶への迎撃を担当している。
PE-3/Bu.No.159513
↑ VP-19にP-3Cが配備が始まったのは1975年であり、この機体が工場からロールアウトしてVP-19に新品で納入されたのは10月との事。因みにBu.No.159511から159514の4機は新品の形でVP-19に配備されている。
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(1989)
1976年アラスカ州のNASアダックに配備された際、最新のP-3C Update-Ⅰを受領したが、これはVP部隊の中で分遣隊の現場でP-3C
Update-Ⅰを運用した最初の部隊であると記録されている。1977年にNASアダックにて20回のSAR任務を完遂したことから、栄誉あるバトルE賞(戦闘有効性賞)を受賞。このページに掲載した1978年撮影のP-3Cの機首に全て”E”が入っているのは、この受賞を記念するものである。バトルE賞(戦闘有効性賞)は、1年間を評価期間として、部隊や艦船の戦闘準備態勢の最高の状態を示した単位に贈られるもの。
P-3C of VP-9 "Big Red" are lined up in Kadena Okinawa.
Tail Marking of VP-9
↑ 1977年 厚木基地R/W01で離陸するVP-19のP-3C/PE-1
PE-4/Bu.No.159514
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PE-5/159510
PE-1/Bu.No.159511
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(1989)
(1989)
↑ 前ページの尾翼のマーキングを、P-3C型への更新を機会に一新して、非常に目立つデザインに切り替えた1978年嘉手納基地駐留時代の塗装。
PE-2/Bu.No.159512
↑ 1978年3月某日 嘉手納基地R/W05Lに着陸し、エコータキシーから海軍エリアに戻るVP-17のP-3C/PE-2。全面風防が5分割になっていることが判ると思う。これに側方天井ガラスを含め7枚構成で、曇り防止の熱線装置、ウィンドーワイパーなどが完備されている。当時のC型は、機首下面に顎の様な張り出しが増設されているが、これは全面下方、左右側方、真下の写真撮影が出来るカメラを内蔵した場所である。70㎜フィルム100フィート巻を装着していたそうであるから、350~380コマ程度は撮れる計算となる。
1968年に岩国基地に配備された当時、丁度プエブロ号事件が勃発し、VP-19は、北朝鮮海域の監視業務を担当し、1500時間以上を飛行したとされる。同時に悪化するベトナム戦に対応して、タイと岩国基地をベースにカムラン湾の監視業務などを担当した。
(1989)
(1989)
(1946~1991)
VP-19は1970年半ばに尾翼のマーキングを一新し、NAVYファンを喜ばしてくれた部隊の1つだった。”Big Red”のネームの元、真っ赤なFire-Bird?を尾翼に書き込んだニューマーキングのP-3Cは、かなり遠くからでも直ぐにVP-19だと判別できた。私は、厚木基地で数機を撮影した後、嘉手納基地にローテーションで配備されたVP-19を撮りたくて、1978年春に嘉手納まで遠征した。しかしVP-19もロービジになってからは、私のP-3への執着が全く薄れてしまい、機体撮影よりむしろCREWの写真を撮る方に夢中になった。
この部隊も1991年8月解散している。(2002/3 記)