↑ White Bearさんが、1985年5月に嘉手納基地で撮影されたVP-19のP-3C。私が撮影した1978年のP-3Cと大きく異なる部分は、機首下方のカメラベイが無くなっている事、プロペラ警戒ラインが下面だけに変った事、胴体後方の国籍マークの白縁が無くなった事である。尾翼に白い四角形の表示があるが、これは緊急時のラジオビーコン(無線遭難信号発信装置)の位置を示すもの。
PE-9/Bu.No.159509
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PE-8/Bu.No.159508
↑ 1978年におけるVP-19のP-3Cの塗装は、胴体のプロペラ警戒ラインが360度全周描かれているのと、後部胴体の国籍マークに白い縁が設けられている事。同時期のVP-50は既にプロペラ警戒線は胴体下部だけに変っていた。
(1946~1991)
↑ 1978年3月嘉手納基地海軍エリアにラインナップしたVP-19のP-3C。尾翼のラダーにまで及ぶ大きな鳥のマーキングは、この部隊とVP-23以外にはなく、非常に派手で目立つデザインだったので、何度撮っても飽きが来なかった。
PE-7/Bu.No.159507
↑ 嘉手納基地を離陸の為、雨の中R/W-23に向かうVP-19のP-3C/PE-7。我々航空機写真マニアは、VP-19のテールレターから、彼らを”ぺ”と呼んでいた。「今日は雨の中ぺの7が上がって行ったよ・・・」なんか周辺には理解しにくい会話であろう・・・・
この飛行隊は、P-3の対潜哨戒部隊としては1991年3月31日で閉隊したが、ノースロップ・グラマン社が開発した無人機MQ-9トライトンの部隊として部隊番号が復活し、VUP-19と言う名称になってジャクソンビル海軍航空基地に本拠地を置いている。2022年には岩国に同隊の”PE”のテールレターを付けたMQ-9が配備された事もあった。。
1982年11月から1983年に掛けて三沢基地に展開したVP-19は、14年間105,000時間の無事故記録を達成し、対潜運用の優秀部隊として数々の賞を受賞している。
↑ 1978年3月 嘉手納基海軍エリアでホースによる清掃作業が行われていた。当時航空機用の水洗浄装置はまだ設置されておらず、P-3もAV-8Aハリアーもホースのあるこの場所で長いモップと手洗い、時によってはクレーン車を使っての高所清掃作業が実施されていた。機首に輝く白い”バトルE”は、前年の1977年にアラスカでの訓練の好成績に対して授与されている。
↑"PE"と美しい尾翼のマーキングをつけたVP-9のP-3を見たのは、1983年厚木のチビヤンで上写真のPE-11が最後であった。1982年11月に三沢基地に配備され翌年に厚木基地に飛来したものである。以前は、海軍には珍しい機首番号”8””9”を付けていたこの部隊も これを変更して”10””11”に戻している。この159509は、以前はPE-8であった機体だ。
PE-6/Bu.No159506
↑ 厚木基地R/W19に着陸するVP-19のP-3C。フニュ師匠が1978年に撮影した作品。
PE-11/PE-11/Bu.No.159509